ESSAYかぐらびと

神楽坂に息づく和装の文化 | 助六

2025.03.19

作家の菊池寛や与謝野晶子をはじめ、多くの著名人が贔屓にしていたという老舗『助六』。
明治43年の創業から長年にわたり、創作履物などを扱うお店として人々に愛されてきました。店内には伝統を守りながらも、時代に応える工夫が凝らされた草履や下駄が並んでいます。
今回は店主の石井要吉さんに、助六の歴史や履物についてのこだわり、そして神楽坂のまちづくりについてお話を伺いました。

助六 三代目店主
石井 要吉 Ishii Yokichi

伝統的な技法を大切にしながらも、時代の変化に合わせた履物や袋物を提案し、国内外へ和装の魅力を発信している。
神楽坂通り商店会の会長を2期4年にわたり務め、地域の発展に寄与してきた。他にも神楽坂まちづくり興隆会など多くの役を兼任。神楽坂の伝統を守りながら、次世代へと受け継ぐための活動にも力を注ぐ。


履物とともに歩んだ115年

創業について教えていただけますか?
「日本橋に『助六』という名前の履物問屋があったのですが、祖父はそこで働いておりました。年季が明け、屋号を使用して神楽坂で店を構える際に、競合を避けるため小売業として看板を上げたのがはじまりです。創業当時は日露戦争後の好景気で神楽坂が賑わっていたため、商売を軌道に乗せることができたのだとも。」
現在主流の歯の薄い駒下駄は助六創業者が考案。履物博覧会で1位になったことで世に広がった。
関東大震災や第二次世界大戦の影響はありましたか?
「どちらも神楽坂や『助六』に大きな変化をもたらしました。震災では比較的被害が少なかったため、多くの商店や花柳界の方々が、神楽坂に避難してきて仮店舗を構えました。一時は芸者さんたちも600人ほどいたと聞いております。 また、先の大戦では『助六』を含めた神楽坂通りの木造建物が全部焼失し、焼け残ったのは僅かながらの鉄筋コンクリートの建物だけでした。祖父は“レジスターと歌舞伎の小道具だけ持ち出し命からがらに逃げた”と語っていましたね。」
(左)空襲の際に持ち出したレジスター/(右)歌舞伎役者の使用した草鞋

変わる時代と変わらぬ粋

石井さんは戦後すぐに生まれたとお聞きしましたが。
「はい、昭和23(1948)年生まれですね。小さい頃は杉並の堀之内に住んでおり、小学校に入るタイミングで神楽坂に戻ってきました。大学卒業後、履物屋での修行のために2年ほど小田原にいましたが、それ以外はずっと神楽坂です。」
職人の経験がものをいう仕事なのですね。
「履物の商(あきな)いはただ商品を売るだけではなく、挿(す)げる(鼻緒を取り付ける)技術が必要です。足の形や高さ、幅に合わせて微調整をしながら挿げていくことが大事なのです。同じサイズでも足の形、歩き方は一人ひとり違いますからね。うちは、お客様にとって一番快適な履き心地を提供できるよう努めています。」
昭和40年代後半から50年代の神楽坂といえば、料亭文化が華やかなりし頃ですよね。
「今より多くの料亭が営業しており、待合で30分以上待つこともざらでした。」
当時の神楽坂の地図。料亭が今より多くあったことが確認できる。
「すべてが当店のお客様というわけではありませんでしたが、今よりも着物で暮らす方が多く、履物も生活の一部でしたから、商売としてもそれなりに活気がございました。私が店に入った頃は年中無休はあたりまえ。普段の月でも、閉店が夜10時を回ることもしばしばでした。それだけ履物を求める人がいた時代だったのですね。」
需要は昔と変わりましたか?
「今は習い事でお求めになられる方がほとんどです。それでも、一時期よりは和の文化に興味のある若い方が増えているのは嬉しいことです。」
若い世代の和装に対する意識の変化を感じます。
「昔のように“格式を重んじるもの”ではなく、自由に楽しむ方が増えましたね。最近はデニム着物やモダンな柄の着物も人気ですし、履物にもカジュアルの要素を取り入れる方が増えました。ですので、洋服にも合う履物を提案したり、疲れにくいビブラムソール(高い耐久性と衝撃吸収に優れたイタリア製の靴底)を使った商品を開発したりしています。」
それは使い勝手がよさそうですね。
「一般的な草履は革や布の底でできているので、どうしても滑りやすいし雨の日に濡れてしまう。ビブラムソールを台に使うことで弱点を克服し、和装履物に馴染みのない方でも普段使いしやすくいたしました。」

国境を超える和装文化

助六さんは海外の方にも人気があるとお聞きしました。
「主にヨーロッパやアメリカの方々が、“日本文化が好き、和装に興味がある”という思いで履物を購入してくださっています。ただ、その際には説明が必要です。和の履物は足のかかとが少しはみ出すくらいが正式な履き方なのですが、海外の方には“サイズが合っていない、 小さすぎる”と思われることがあります。特に欧米の方は、靴はかかとまでしっかり覆われているのが当たり前ですからね。」
“粋”なんですね。
「ええ。だから履き方の文化的背景を説明するために、案内書を作成しています。“少しかかとが出るのが粋とされる”とか、“歩き方も草履に合わせると快適になる”といったことですね。」
どこが魅力だと映っているのでしょうか。
「やはり職人の手仕事による美しさと履き心地の良さでしょう。特に手作業で鼻緒を挿げる技術に感動される方が多いです。その魅力を伝えるために、海外向けのワークショップを開催したり、フランスの百貨店で展示販売を行ったこともあります。今後も、日本の伝統工芸を知ってもらう機会を増やしていきたいですね。」

次世代へバトンをつなぐ

石井さんは、まちづくりにも長年関わってこられましたね。
「『神楽坂まちづくりの会』が発足した平成3年頃からですね。“伝統と現代が触れ合う粋なまち”を目指しながら、神楽坂通り商店会の会長を2期4年務め、景観整備や防犯対策、商店街の活性化などに取り組みました。近年、物販店が減り飲食店が増えてきましたが、まちの魅力は商いの多様性にあると思っています。ですので、それらを守るために地域の店舗と連携しながら、イベントの開催や情報発信に力を入れてきました。」
最近、周辺地域では大規模な再開発が進んでいるようですが。
「神楽坂は新宿区にあっても、超高層ビルが並ぶエリアとは違う個性を持ったまちです。そのアイデンティティをどう守るかが、今後の大きな課題です。」
 
これからのまちづくりに忘れてはならない事は何だとお考えですか?
「神楽坂の持つ歴史や文化を生かしながらも、時代に合わせた発展がカギになると思います。神楽坂の活性化だけでなく、再開発とのバランスを考えながら、まちの景観やコミュニティを維持する事が大切ですね。」
「商売だけでなく、商店会の会長職やまちづくりにおいても、若い世代に少しずつ役割を引き継いでいかないと、まちの持続性が失われてしまいます。まちづくりの考え方はぶれずに続けていきながらも、次の世代へのバトンタッチが大切です。」
最後に神楽坂と『助六』のこれからについてお聞かせください。
「履物は和装文化とともに少しずつ変化していますが、それをどう残していくかが重要です。伝統工芸の技術は職人の高齢化によって失われつつあります。だからこそ、新しい世代に技術を伝えながら、現代のライフスタイルに合わせた商品を開発していきたいですね。神楽坂のまちも、しなやかに変化しながらもその独自性を守り続けて欲しいと思っています。」
時代が移ろうなかでも、ゆるぎないものがある。 履物の一つひとつに込められた職人の技、そして、いさぎよく次の世代へと託される想い。助六が歩んできた道のりには、神楽坂らしい粋が感じられます。

今回、取材にご協力いただいたのは三代目店主の石井さん。
お店で会えたら「かぐらびと見ましたよ!」ってひと言、頼むな!

店舗情報

店名
助六
住所
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂3-6
営業時間
ウィークデイ 10:30~19:00
週末・祝日  11:00~18:00
定休日
毎月第2・3日曜日
駐車場
公式SNS
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この記事を書いた人

かぐらむら編集局

隠れた名店や話題の最新スポットを実際に訪れ、取材しています。神楽坂を知り尽くした編集局ならではの視点で、皆さまに新たな発見をお届けします!

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