ESSAYかぐらびと

本格フレンチを、日常のごちそうに | ラ・グラティチュード

2026.08.05

「変化を恐れず、けれども軸はぶらさない。そうして、ここまで来ました」

神楽坂にまだフランス料理店が多くなかった1995年。
このまちに、一軒のビストロが生まれました。

あれから31年。
まちも、人の流れも、食事の楽しみ方も少しずつ変わってきました。
時代が移りゆくなかで、何を守り、何を変えてきたのか。

第35回かぐらびとでお話を伺ったのは、ラ・グラティチュードのオーナーシェフ・大坂尚久さんです。

ラ・グラティチュード オーナーシェフ
大坂 尚久  Osaka Naohisa

神楽坂で30年以上にわたり、フランス料理と向き合い続ける料理人。自ら素材を選び、仕込み、一皿を仕上げることを大切にし、本格的でありながら気取らず楽しめるビストロのあり方を追求している。店名に込めた感謝の思いを胸に、日々、訪れるお客様を迎えている。


厨房を出て、厨房にもどる

最初の修行先は三笠会館だと伺いました。
「はじまりは、学生時代によく通っていた飯田橋の喫茶店でした。そこのマスターが三笠会館出身で、“興味があるなら紹介してあげるよ”と声をかけてもらったんです。ちょうど、アルバイトを通して、料理を作る面白さや、自分の作ったものを食べた人が喜んでくれる嬉しさを知った頃でもありまして。卒業後は迷わず、料理の道へと進みました。」
三笠会館といえば、1925年創業の老舗で、さまざまな業態のレストランを展開していますね。どのような経験をつまれたのでしょうか。
「入社後の二年間は、まずサービスを経験するのが決まりでした。朝早くから夜遅くまで続く日々、なかなか厨房に立てないもどかしさと焦り。店全体の仕事を学ぶ大切な期間とは分かってはいても、高校を卒業したばかりの自分には厳しく感じられることもありました。」  
「……実は一度、料理に挫折して、別の仕事をしていた時期もあります。時間や収入の面では余裕ができましたが、毎日同じことを繰り返すうちに、物足りなさを感じるようになっていきました。」 
再び料理の世界へ戻るきっかけは、何だったのでしょうか。
「“もう一度、料理をやる気はないか?”と、三笠会館時代にお世話になった先輩が、フランス料理店を紹介してくれたんです。」 
幡ヶ谷にあった高級フレンチ店、カフェ・ド・アルムですね。

「はい。そこで働いていたときに知り合った方が、四ツ谷のパザパのオーナーで。カフェ・ド・アルムが閉店することになった際、パザパで働かせてほしいと私からオーナーにお願いしました。パザパは、前菜、メイン、デザートを手頃な価格で楽しめるフランス料理店です。今にして思えば、パザパで修業を重ねるなかで、自分が作りたい料理の輪郭が少しずつ見えはじめていたのだと思います。」


パリで見つけた、自分の料理

パザパでの経験が、渡仏につながっていくのでしょうか?
「パザパの先輩たちから聞くフランスでの修行話や、料理の考え方がとにかく面白かった。夢中になって話を聞くうちに、自分もフランスへ行ってみたいという思いが芽生えていきました。」

「その後、縁あってパリやフランス地方のレストランに務める機会をいただきまして。現地では仕事をしながら、格式あるレストランから日常の店まで、さまざまなフランス料理に触れました。」 
パリでの経験を通して、料理の方向性が見えた感覚はありましたか?
「ええ。日本では、フランス料理というと高級レストランの印象が強くなります。でも、そうした特別な料理だけが求められているわけではないのだと、あらためて気づかされました。肩ひじを張らずに食事を楽しめる店で、食べる人を見ながら、一皿ずつ誠実に仕立てた料理を届ける。自分が作りたいのは、そういう料理なのだと思いました。」

広げた先に見えてきたもの

前店のル・ロワズィールは、ミシュランのビブグルマンに選ばれていましたね。日本の方はもちろん、フランスの方が足しげく通う姿もよくお見かけしました。多くの方に愛されていた店をたたみ、ラ・グラティチュードを開くに至った経緯を教えてください。
「味の評価もいただき、立地にも恵まれ、続けようと思えば続けられたと思います。ただ、うちに来た料理人は独立を目指す人が多く、人の入れ替わりが常に課題でした。もちろん、独立心があること自体は素晴らしいのですが。」 
一時期は、神楽坂下のル・ロワズィール、南山伏町のラビチュード、戸越銀座の三店を持たれていましたね。複数の店舗を運営していたことも、その後の決断に関係していたのでしょうか。
「そうですね。当時は都営大江戸線も通っておりませんでしたので、日に何度も三店を行き来する難しさに直面していました。そのうちの一軒であるラビチュードは、当時、ロワズィールで働いていた鈴木祐介くんから独立の相談を受けたことを機に、引き継いでもらうことにしました。常連のお客様がしっかりついている店でしたから、新しく一からはじめるより、そのまま続けてもらう方が、彼にとっても良い形になるのではないかと思ったのです。」 
 
「人を育て、店を増やし、経営を統括する立場を経験した一方で、料理人でありながら、自分の料理に向き合うことが難しくなりまして……。迷いが生まれました。自分は何のために料理人になったのか、と。いつしか、素材を選ぶところから一皿を出すところまで、すべてを自分の責任で担える店に戻りたいと思うようになったんです。」 
そこから物件を探しはじめられたのでしょうか?
「いえ、実は現在の場所は、いずれ最後の店にしたいという思いで、すでに購入していた物件でした。料理人としても経営者としても悩み、試行錯誤を重ねたからこそ、最後に自分が立つ店のかたちが見えたのだと思っています。
何一つ、無駄なことはなかった。
ここに骨をうずめよう。料理人としての歩みの集大成となる店を開こう。そう決めました。」
店名にはどのような思いを込められたのでしょうか。
「長く通ってくださっているお客様が、ご友人に店を紹介してくださる。そうやって店は続いてきました。これまで支えてくださった方々への思いを考えた時に、いちばんしっくりきたのが、フランス語で感謝を意味するラ・グラティチュードでした。」

変わらないために、変えていく

メニューを考える際に、何を大切になさっていますか。
「気軽に通っていただける価格でありながら、お客さまに満足していただける味にすることです。」
 
「野菜や魚介は、できるだけ豊洲へ足を運び、自分の目で見て納得したものを選ぶようにしています。日替わりのメニューが中心なのも、その日に出会った旬の食材を生かしたいからですね。実は高校時代からの友人が青果の仕事をしているのですが、良い産直の野菜が入ると連絡をくれます。たとえばトウモロコシでも、実の数をあえて絞って育てたものは、甘みや味の濃さが違うんです。」
 
物価が上がる中で、手頃な価格を保つのは簡単ではないと思います。
「正直に言えば、本当に難しくなっています。素材の価格は毎月のように上がっていますし、光熱費も以前とは比べものになりません。平日のランチをやめて土日祝日のみにしたのも、以前のような価格で続けることが難しくなったからです。ただ、夜のメニューについては、できるだけ今の形を保ちたいと思っています。」
「パンも仕込み時間が許す限り自店で焼きます」と、大坂さん。
長く店を続ける中で、お客さまの食事の楽しみ方も変わってきたと感じますか。
「感じますね。たとえばお酒を召し上がらない若い方が増えました。そういったお客様にも楽しい時間を過ごしていただけるよう、ソフトドリンクのラインナップに工夫をしております。また、バターやクリームよりも、オリーブオイルを使った軽い仕立てが喜ばれることもあります。ただ、美味しさを保つための工夫はあっても、料理の量やスタイルを大きく変えるつもりはありません。うちはやはり、フランス料理のビストロですから。」 
南山伏町に開店された90年代半ば頃、神楽坂はどんなまちでしたか?
「フレンチはほとんどありませんでした。ル・ブルターニュさんやサン・ファソンさん※1、それから東京日仏学院内にあったブラスリー・ベルナール※2さんくらいだったと思います。」
※1 サン・ファソンは2015年に閉店。
※2 ブラスリー・ベルナールは、のちにラ・ブラスリーとなり、2019年に閉店。


「ロワズィールを開いてから、フレンチの店が少しずつ増え、その後はイタリアンも多くなっていきました。おいしい店は増えましたが、まちの雰囲気は以前とは変わったと感じています。」
と、いいますと?
「昔の神楽坂は、料亭や芸者さんの文化や文脈もあり、もう少し静かで落ち着いた雰囲気がありました。いまは飲食店が増え、人通りも多くなりました。まちの活気につながっている面もありますが、神楽坂らしい空気が少しずつ失われているのではないかと思うこともあります。」 
これからのラ・グラティチュードは、どのような一軒でありたいですか。
「日常のごちそうが食べられる店です。本格的なフランス料理を、肩肘張らずに楽しんでいただきたい。場所や店名は変わっても、それが自分の料理の原点です。」 

変わるものを受け入れながらも、変えてはならないものを見失わない。
ラ・グラティチュードは今日も、その思いを一皿ずつ重ねています。


今回、取材にご協力いただいたのはオーナーシェフの大坂さん。
お店で会えたら「かぐらびと見ましたよ!」ってひと言、頼むな!

店舗情報

店名
ラ・グラティチュード
住所
〒162-0805 東京都新宿区矢来町57-2
電話
050-5462-5580
営業時間
[ディナー]
全日 18:00 〜 22:30 L.O. 21:00

[ランチ]
土・日・祝 12:00 〜 14:30 L.O. 13:00
定休日
不定休
駐車場
なし
公式SNS
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この記事を書いた人

かぐらむら編集局

隠れた名店や話題の最新スポットを実際に訪れ、取材しています。神楽坂を知り尽くした編集局ならではの視点で、皆さまに新たな発見をお届けします!

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