ESSAYかぐらびと

老舗書店が、新しい時代に向けて試みる<人と文化>の交流する空間

2026.05.13

ネット販売の普及や読書スタイルの多様化などで、町の書店を取り巻く環境は、年々きびしさが増しています。
創業75年の歴史ある書店「文悠」も、4年前に地下の売り場をレンタルオフィスに業態を変更。
そして今年4月にメインとなる1階店舗奥を可動式の多目的レンタルスペース等にリニューアルしました。

「本をきっかけに、人と文化が混ざり合う場所」へと進化をさせました。
そこで文悠オーナーの橘陽司氏に、75年の歩みとこれからの構想についてお聞きしました。
 

文悠書店二代目
橘 陽司  Tachibana Youji

神楽坂生まれ。大学を卒業後、政府系の銀行に勤務。都内の中小企業の融資担当を経験。文悠の跡取りとして大型書店で本の小売業の修行を積んだのち文悠書店代表取締役。


一冊の雑誌との出会いが書店開業の原点となる

文悠書店の始まりについて教えてください。
「文悠書店の始まりは、昭和25年、新潟県長岡市です。きっかけは、父が小学1年生の時の体験でした。貧しい農家に生まれた父はケガをして長期休学を余儀なくされていたのですが、その時に担任の先生が、『小学一年生』という雑誌を買って、家まで届けてくださったそうです。当時の教科書は白黒で、「ハト、マメ、マス、ミノ、カサ」といった内容から始まる、子どもにとっては無味乾燥なものだったようです。そんな中で、生まれて初めて手にした雑誌は、父にとって本当に驚きと感動に満ちたものだったのだと思います。幼い心の中が、一気に明るくなるような体験だったのでしょう。後に振り返ると、その体験が父にとっての活字文化への開眼であり、書店を開業する原点になったのだと思います。」 
開業当時は、どのように本を売っていたのでしょうか。
「昭和20年代ですから、まだ日本が敗戦から立ち直っていない時代です。店らしい店も少なく、父は戸板に本を並べて売っていたそうです。夜行列車で東京まで行き、あちこちで本を集めて、持てるだけ持って帰ってきて売る。日本人がまだ活字に飢えていた時代ですから、並べればすぐに売れたそうです。」

「その後、市内に小さな本屋を構えましたが、長岡ではなかなか難しかったようです。雪国ですし、商店街といっても人通りが多いわけではない。仕入れの問題もあり、やはり東京へ出ていかなければならないと考えたようです。」 

「日本文化よ悠久なれ」屋号に込められた思い

神楽坂でお店を開くことになった経緯を教えてください。
「東京で本屋を開業するといっても、簡単なことではありませんでした。当時は近隣2書店の許可が必要だったり、卸の東販が口座を開いてくれないと商売ができなかったり、いろいろな制約がありました。この神楽坂の場所は、たしか東販の紹介で見つかったと聞いています。最初は、今の半分ほどの面積でした。」 
「文悠」という屋号には、どのような意味があるのでしょうか。
「よく屋号の由来を聞かれるのですが、父は ”日本文化よ悠久なれ” という思いを込めて名付けました。最初の開業地・長岡のシンボル公園「悠久山」の名にも因んでいます。神田神保町にも「悠」の字を使った古本屋さんがありますが、たぶん新潟にご縁のある方が始めたのではないかと思います。」
戦後によく売れた本についても、印象的なお話がありますね。
「戦後にいちばん売れた本は何か、という話を聞くことがありますが、それは聖書とロシア文学だったそうです。30年近く前の文悠書店の片隅にも、聖書が並んでいました。よく売れる本というわけではなかったと思いますが、父も私もクリスチャンですので、そういう背景もありました。」

神楽坂本なら文悠へ。月に三ケタ売れた時代

橘さんご自身は、どのように書店業に入られたのでしょうか。
「大学を出た後、私は国民金融公庫に4年間勤めました。その後、書店の実務を覚えるため、中野の明屋書店で半年ほど働きました。その書店は、当時、全国の書店2世を育成する目的で、営業店での実地教育が受けられる制度があったからです。半年の研修後、神楽坂の自店に入りました。」 
お店を引き継がれてからは、どのような展開をされたのでしょうか。
「時代の勢いもあったと思いますが、私が実務をやるようになってから、『これからの小売業は、店舗数を多く持つか、店の面積を大きくしなければならない』と、若いなりに生意気なことを言っていました。私が最初に手掛けた新規出店は、杉並区上井草でした。」

「さらに、営団地下鉄の高架下にも、主に通勤客が利用してくださる店を出しました。時代の勢いもあり、2店舗、3店舗と増やしていったのです。ただ、日本経済の勢いがだんだん弱まり、少しずつ店舗数も縮小していくことになりました。」 
一方で、神楽坂ブームの時期には、良い流れもあったそうですね。
「そうですね。神楽坂ブームが来た時には、神楽坂を特集した雑誌やムック本がよく売れました。いちばん記憶に残っているのは、嵐の二宮さんが主演されたテレビドラマ『拝啓、父上様』が放映されていた頃です。神楽坂関連の本が、月に三ケタ、千冊以上売れていました。「神楽坂関連の本なら、文悠書店に行け」と言われたくらいです。本当に、とても良い時代でしたね。」

地下のレンタルオフィスと連携し、可能性が広がる場所へ

その後、出版不況が厳しさを増していきました。お店としては、どのような変化を考えられたのでしょうか。
「世の中全体として、雑誌も書籍もだんだん売れない時代になっていきました。出版不況は、年々厳しさを増していったと思います。コロナが始まる少し前から、地下スペースの有効活用について考えていました。この頃には、支店もすべてクローズしていました。そういう意味では、変革の流れの一環だったのだと思います。」

「そして4年前に、文庫本とコミックの売り場だった地下スペースを、レンタルオフィスへと業態変更しました。アマゾンなどのネット通販や、デジタルブックの普及など、時代の大きな変わり目だったと思います。」
現在、地下スペースはどのように使われているのでしょうか。
「今では、地下で30〜35社ほどのスタートアップ企業やクリエイターの方々に利用していただいています。私たちが考えているのは、書店だけが勝手に変化していくということではありません。さまざまなスタートアップ企業とともに、町が一緒に育っていく。そういうビジョンを持っています。」 
今回、1階の売り場も全面リニューアルされました。どのような空間を目指しているのでしょうか。
「今回の1階の全面リニューアルでは、多目的レンタルスペースを中心に据えています。可能性は多岐に渡り、スペースでの会議、講演会、セミナー、ワークショップあるいは展示会、ポップアップストアとして販売活動も可能です。」

「フレキシブルな空間として利用できるのが特長です。現在はプレオープン期間として、お客様の声やニーズを聴きながら、さらなる可能性を探っています。」 
これからの文悠書店、そして神楽坂での役割について、どのように考えていますか。
「町がおもしろくなるには、文化を発信できる多様な場所をつくることが大切だと思っています。文悠は開業から75年を迎えました。けれど、そこで終わりではありません。これからの75年に向けて、新しい時代への歩みが始まったところです。本を売るだけではなく、本をきっかけに人が集まり、文化が生まれ、町とつながっていく。そんな場所にしていけたらと思っています。」 
本を手に取ることから始まる出会いがある。
言葉を交わすことで生まれるつながりがある。

75年の歴史を持つ文悠は、本屋という枠を少しずつ広げながら、
神楽坂に新しい文化の居場所をつくろうとしています。

昔からこのまちにある安心感と、これから何かが始まりそうな期待感。

その両方を感じられることこそ、文悠という場所の魅力なのかもしれません。

今回、取材にご協力いただいたのは二代目の橘さん。
お店で会えたら「かぐらびと見ましたよ!」ってひと言、頼むな!

店舗情報

店名
文悠書店
住所
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂6丁目8 文悠ビル 1階
電話
03-3268-5858
営業時間
平日    11:00 - 21:00
土曜・祝日 11:00 - 20:00
日曜    13:00 - 20:00
定休日
月曜日
駐車場
なし

この記事を書いた人

かぐらむら編集局

隠れた名店や話題の最新スポットを実際に訪れ、取材しています。神楽坂を知り尽くした編集局ならではの視点で、皆さまに新たな発見をお届けします!

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