ESSAYかぐらびと

500種類の箸専門店 | 神楽坂 穂の花

2026.09.02

「驚きました! お箸によって、こんなに違うんですね!」
お店で実際に箸を試し、その使い心地を比べたお客様から、よく聞かれる言葉だそうです。

朝日坂の下にある「神楽坂 穂の花」は、約500種類の箸が並ぶ専門店。
太さや重さ、箸の形、塗りの仕上げ――。一膳ごとの違いの奥には、私たちが普段は意識しない、職人の細やかな仕事があります。
近年は海外から店を訪れる人も増え、箸を通して、その背景にある日本の文化にも興味を深める方が増えていると聞きました。
知っているようで、実はあまり知られていない箸の世界。

第36回かぐらびとは店主・大墨 仁さんに、その魅力と奥深さを伺いました。

神楽坂 穂の花 店主
大墨 仁  Oosumi Hitoshi

取材の途中にもお客様が訪れ、箸を手に取りながら自然と会話が始まっていました。選び方の話をしていたはずが、いつの間にか笑い声も。店に立つ大墨さんの姿から、お人柄と、この場所で重ねてきた時間が伝わってきます。


広くではなく、深く。

前職は和のテーブルウェアの会社にお勤めだったと伺いました。
「企画・販売を主に手がけていた会社です。作り手の方々と仕事を重ねるなかで、いつか自分の思う店を持ちたいという気持ちが少しずつ芽生えていきました。」
はじめから、箸のお店と決めていらっしゃったのですか?
「考えた末の選択ですね。一人ではじめる以上、前職のように幅広い商品を扱うことはできません。後発の小さな店だからこそ、何か一つに力を集中させる必要があるとも考えました。これまで築いてきたメーカーさんとの関係や、ネット通販との相性を考えると、箸が有力な選択肢として残ったんです。最後の一押しが、和食のユネスコ無形文化遺産登録です。海外でも和食がさらに広がれば、箸を使う人も増えていくのではないか。そう考えて改めて箸を見てみると、普段何気なく使っている一膳のなかに、日本ならではの文化やものづくりの技術が凝縮されていることに気づきました。」
日本ならではの文化と言いますと?
「日本では当たり前のように、一人ひとりが自分の箸を持ちますよね。海外では、それ自体が珍しいことなんです。家族で同じ食卓を囲んでも、それぞれに自分の箸がある。考えてみると、面白い文化だと思います。」
「食卓からはじまる家族のハッピー」という言葉には、やはり原体験があるのでしょうか。

「そうですね。子どもが小さい頃は、家族で食卓を囲むのが当たり前でしたが、成長するにつれて、全員が顔を合わせる機会も少なくなっていきました。そんな頃、妻から『週に一度は、みんなで一緒に夕食をとろう』という話が出たんです。実際に食事をともにすると、自然と会話が生まれ、家族の出来事や考えを共有するようになりました。『食卓からはじまる家族のハッピー』という言葉は、そうした自分自身の経験から生まれています。」

神楽坂にお店を開こうと思ったきっかけを教えてください。

「決め手になったのは、まちの意外性ですね。店を開く場所を探して、都内の商店街をずいぶん見て回りましたが、特に印象に残ったのが神楽坂でした。表通りだけでなく、横道や細い路地に入っても、個性的な店がぽつんとある。こんなまちに、箸しか置いていない店があったら面白いのではないか。そう思ったんです。」


一膳に宿る、いくつもの技

お店の箸は、どのような基準で選んでいるのでしょうか。
「まず思い浮かべるのは、実際にお店へ来てくださるお客様のことです。誰のために選ぶのか、どんな場面で使うのか。どなたがいらしても、“自分に合うものが見つかった”と思っていただける品を揃えています。」
産地による違いも、選ぶ楽しさの一つになりそうですね。
「そうですね。国内で流通する箸の多くは若狭産ですが、若狭は箸づくりに特化してきた地域。長い歴史の中でさまざまな塗りや加飾の技法が培われ、日常使いから工芸的なものまで幅広い箸がつくられています。一方、同じ福井県の越前は、もともと椀や重箱などをつくってきた漆器の産地です。そのため、刷毛で漆を塗っています。ほかにも、漆を幾重にも塗り重ねて研ぎ出す津軽塗箸や、木目を生かした拭き漆の木曽塗箸、輪島や会津など、それぞれの土地で受け継がれてきた技術が、箸の表情に表れています。」

「箸づくりは分業で、削り、塗り、加飾と、それぞれの工程を職人さんが担います。普段は意識しないような細部まで、使う人のことを考えた工夫が重ねられているんです。」
一つの素材に異質の素材を嵌め込む工芸技法・象嵌(ぞうがん)。写真の箸は、細かな貝を削り出して木地に埋め込んでいる。
箸づくりを続けていくうえで、難しくなっていることはありますか。
「大きい課題が二つあります。まずは材料の問題です。日本の工芸品というと、国内だけで成り立っているように思われるかもしれませんが、箸に使う木材の多くは海外から入ってきます。円安や輸送費の高騰、ウッドショックなど世界情勢の影響を受けやすく、材料の価格も上がり続けています。なかにはワシントン条約で国際取引が制限され、国内に残る材料でしかつくれない木もあります。」
スネークウッド(左)と黒檀(右)。希少材の箸も店内に並ぶ。
「もう一つが、職人の後継者不足です。引退する方がいる一方で、新しくこの仕事に就く人が少ないのが現状です。ただ、若い女性が削りの仕事に入っているという話も聞きました。厳しい状況に変わりはありませんが、そういう話には希望を感じますね。」

外から見て、はじめてわかる箸文化

海外からのお客様は、開店当初と比べて増えましたか?
「ここ数年で格段に増えて、より幅広い地域から来てくださるようになりました。最近ですと、北欧や南米、アフリカ、それにモーリシャスから来られた方もいます。日本旅行の理由を聞くと、円安で旅行しやすいことや、安全だというイメージを挙げる方が多いですね。若い方では、アニメの影響という話もよく聞きます。」
海外の方には、どのような箸が人気ですか。
「日本の陶器の釉薬をイメージしたシリーズがあるのですが、色違いで何本も買われる方が多いですね。螺鈿を使った少し華やかな箸なども、よく選ばれます。」
浮世絵や富士山、桜など、日本的な柄が人気なのかと思っていました。
「そうしたものにも根強い人気はありますが、日本の方に向けて考えたデザインが、結果的に海外の方にも受け入れられている気がします。」
特に印象に残っている質問はありますか。
「"なぜ箸の長さが違うのか"と聞かれたことです。日本では夫婦(めおと)箸を見ても、それほど不思議には感じませんよね。でも、ナイフやフォーク圏では、大人同士が同じ食卓を囲んでも、それぞれが長さやデザインの違う、自分専用のものを使うという感覚はあまりありません。そこで手の大きさと箸の関係や、マイ箸文化を説明すると、"自分に合うサイズを選びたい"と言われます。」

使われ続けてこそ、技術は残る

箸選びに変化を感じることはありますか?
「圧倒的に増えたのは、食洗機に対応しているかというご質問です。店をはじめた頃は、今ほど条件に挙がりませんでした。ところが近年は、気に入った箸でも食洗機に対応していなければ選ばれない。日常で使ってもらえなければ、技術も残していけません。暮らしの変化に合わせる必要があると、箸メーカーも感じていますね。」
くぼみの形が違うため、自然と箸の持ち方が整う『はし上手』。右利き用と左利き用がある。「遊ぶような感覚で興味を持ってほしい」と大墨さん。
この先、箸にはどのような可能性があると思いますか。
「『究極の滑らない箸』のように、昔からある機能でも、伝え方ひとつで改めて注目されることがあります。お客様の声を伺っていると、まだ気づかれていない使いやすさや、箸の新しい可能性はあるんだと思います。」
大墨さんが手にするのが、穂の花オリジナル箸。
「穂の花では、箸先を極端に細くしたオリジナルの箸もつくってもらっています。魚の骨の間など、細かなところまで扱いやすいものがあればと思い、試作したのがはじまりです。万人向けではないかもしれませんが、一度使った方からは『もう手放せない。絶対にやめないで』と言われるようになりました。製造には手間がかかりますが、できる限り続けていきたいと思っております。」

毎日使う箸は、あまりに身近で、普段はその違いを意識する機会も少ないものです。
でも、「神楽坂 穂の花」で箸を見比べ、実際に試してみることで、これまで気づかなかった自分の好みが見えてくるかもしれません。
いまの暮らしに心地よくなじむ一膳を、あらためて選んでみてはいかがでしょう。


今回、取材にご協力いただいたのは店主の大墨さん。
お店で会えたら「かぐらびと見ましたよ!」ってひと言、頼むな!

店舗情報

店名
神楽坂 穂の花
住所
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂 6-58-3
電話
03-6265-0344
営業時間
11:00 〜 20:00
定休日
不定休
駐車場
なし
公式SNS

この記事を書いた人

かぐらむら編集局

隠れた名店や話題の最新スポットを実際に訪れ、取材しています。神楽坂を知り尽くした編集局ならではの視点で、皆さまに新たな発見をお届けします!

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