神楽坂・声のライブラリー  第3弾
「生まれも育ちも神楽坂」ついに完結‼



「生まれも育ちも神楽坂」2回シリーズ
第1回「戦後の神楽坂花柳界」
第2回「まちと花柳界の関り」

  出演:斉藤れい子(由みゑ姐さん) 聞き手:長岡弘志
  LisBoホームページ:https://www.lisbo.jp/
  LisBo(リスボ)より4月13日から配信開始!


「神楽坂・声のライブラリー」シリーズの第3弾は、戦後神楽坂の花柳界の記憶を、今も現役で芸に励む芸者さん、由みゑ姐さんにお話をお伺いする会です。2回の構成で、1回目は昭和21年生まれの由みゑ姐さんの少女時代からお披露目までの思い出。
第2回目は、神楽坂のまちと花柳界のつながり。話の間に飛びだすお座敷遊び用の芸、痛快でお見事なその芸の数々はお座敷が和むものばかり。お話の聞き手は、地元神楽坂の情報誌「かぐらむら」の長岡弘志編集長です。以下は、インタビュー後の長岡編集長の感想です。





 


第1回 韋駄天のおゆみさん

スポーツが得意で、小中学校は日焼けして真っ黒だったという斉藤れい子さん。小学生の時には、ずっとリレーの選手で、新宿区の連合運動会ではリレーでアンカーを任されて、見事優勝したという。中学生の時は、陸上競技も水泳も得意で、いつも入賞。そんな活発な女の子が、中学を卒業後、お酌でお披露目した。「水陸両用のれい子ちゃん」は「由みゑさん」に生まれ変わりました。前の東京オリンピックが開催される3年前のこと。あれから半世紀ちょっと。世の中の景気も右肩上がりで、国も東京も浮かれていたころ。神楽坂の花柳界はどこか、のどかで家庭的な雰囲気が漂っていました……。
お座敷遊びでは、割りばし2組とおちょこ1個だけで日本の12カ月の催事を表す数え歌を披露。実によくできた数え歌で、12カ月のカタチを写真でも紹介します。数え歌の語尾が「〽○○でごんす」というのは、どこの地方の言葉なのか、不思議でやさしい余韻がのこる数え歌でした。
最後をしめたのは、名人芸といわれるマッチカスタネット。これを聞かずに、神楽坂のお座敷を語ることなかれ、とはちょっと言いすぎですか?

マッチ箱がカスタネットに
あっという間、季節のカタチに
軽快なリズムをひびかせるマッチ箱

数え歌の1月~6月
数え歌の7月~12月
花街伝統芸能継承師範の認定証

お酌時代の由みゑさん
輸出用のカレンダーの初夏
輸出用のカレンダーの春


第2回 抱腹絶倒のコーヒールンバ

第1回目のラストはコーヒールンバのメロディにのせて歌う「貫一お宮の物語」に圧倒されてしまいました。昭和のなつかしいルンバのメロディ、即興でマッチ箱をカスタネット代わりにして響かせる軽快なリズム、それに、明治の文豪、尾崎紅葉の「金色夜叉」の悲恋を笑い飛ばす痛快さ、繰り返されるフレーズ「バッカじゃなかろか!ルンバ!」。この由みゑさんの芸がお座敷で始まった時、昭和のお客さんたちがどんなに抱腹絶倒したことか、目に浮かぶようでした。この芸を聞くためだけでも、神楽坂のお座敷は一度体験したいものと、しみじみと感じ入りました。
ちなみに神楽坂は、尾崎紅葉とは切っても切れない縁の深いまち。その紅葉の代表作がこんな替え歌になっているなんて、草葉の陰で明治の文豪も苦笑したのではないか。
昭和の高度成長期、神楽坂の花柳界がどれほどか賑わい、人間味にあふれて楽しい場所だったのか、令和の今から振り返れば夢のような幻のような時代です……。
戦後の神楽坂に生まれて、花柳界の中で生きてきた由みゑさんの、とっておきのお話です。

スタジオでの録音中(上)、由みゑ姐さんと長岡弘志編集長(下・右)
お座敷にて
太鼓のバチさばきは見事

獅子舞の時の五人組(左はし)
毘沙門天の落慶式で手古舞姿(中央)
若宮神社のお祭りにて