赤城神社の再生とまちの発展


神楽坂・声のライブラリー  第6弾

「赤城神社の再生とまちの発展」
今回は、牛込総鎮守様赤城神社の宮司、風山栄雄さんにお話をお聞きします。赤城神社は、700年を超える歴史を持ち、江戸時代、赤城神社は「赤城大明神」と呼ばれ、「日枝(ひえ)神社」「神田明神」と並び、「江戸の三社(さんじゃ)」といわれにぎわったものでした。いまも氏子は32町会に及び、初詣、お宮参り、七五三、秋の例大祭、夏と年末の大祓いと、人々の暮らしを見守ってきました。そして平成22年には、約160年振りの神事、遷座祭を斎行。新しい本殿、拝殿、神楽殿の竣工とともに、赤城神社再生プロジェクトがはじまりました。その中核を担い、神社とまちの新しい関係を築いて来られた宮司の風山さんに忌憚のないお話をしていただきます。
神楽坂6丁目、先々代の宮司さん


昭和30年代前半の上大祭「御神輿の渡御」

 
 
収録風景(左/風山栄雄宮司、右/長岡弘志)
 

■令和3年2月15日から一挙配信スタート!
第1回「ラジオの番組制作会社の経営と神社の禰宜、二足のわらじ」:48分45秒
第2回「赤城神社再生プロジェクトと遷座祭」:54分44秒
企画制作:(有)サザンカンパニー
  出演:赤城神社風山栄雄宮司、聞き手:長岡弘志(有)サザンカンパニー代表
  配信: LisBoホームページ:https://www.lisbo.jp/
  LisBo(リスボ)より令和3年2月15日から配信

■出演者:赤城神社風山栄雄宮司 
昭和24年2月生まれ。同42年3月早稲田高等学校卒業。42年4月
早稲田大学教育学部入学。同45年8月國學院大學神道講習会終了。同46年3月早稲田大学教育学部卒業。昭和45年8月赤城神社禰宜に任命。平成16年3月赤城神社宮司に任命。平成22年10月赤城神社本殿竣工。



 

■第1回:ラジオの番組制作会社の経営と神社の禰宜、二足のわらじ
 
早稲田の学生時代に軽音楽のバンド活動をしていた風山栄雄宮司さん。かたわら大学3年の時に國學院大學での神職の資格もとられた風山宮司。家業を意識しながら、バンド活動も継続していました。バンドではベースを担当し、学生時代にボニージャックスと一緒にソビエト公演もされています。当時の社会主義国ソビエトで思いがけない貴重な体験もされています。今も年に1度2度ぐらいの割合で神楽坂のレストランなどのステージでバンド演奏を聴かせてくれます。

風山さんは早稲田の学生時代から、家業である神社の禰宜として働いてきました。大学を卒業後は、ラジオの音楽番組の制作会社に就職し、神職とラジオの番組制作という二足のわらじを履いてきました。やがて独立しラジオの番組会社を設立。経営者として腕を振るい始めます。音楽の世界に詳しく、ミュージシャンとの交流も幅広いのはこうした経緯にありました。インタビュアー(長岡)が知り合った時、風山宮司さんは「FM神楽坂」の申請に奔走していました。FM局の申請は、あと一歩のところで実現しませんでしたが、神楽坂にFM局が誕生していたら、どんなコミュニティが形成されていったのか、タウン誌の編集を始めたばかりの長岡編集長も興味津々でした。当時のラジオ番組制作は、さぞおもしろかったことでしょう。時代の空気を真っ先に感じとる音楽の世界で仕事をしてきたのです。

そのラジオ番組制作会社は、大久保通り沿いにありましたが10数年で解散しました。神職の禰宜として赤城神社を手伝っていた風山さんも、間もなく宮司として赤城神社を背負っていくことに。42歳の時に禰宜から宮司になられ、ラジオの番組制作会社の経営をはなれ神職一本でやっていくことに。
 
新鳥居落成式(昭和7年)
 
表参道開通(昭和8年)
 

風山宮司と拝殿の前で

■第2話:赤城神社再生プロジェクトと遷座祭

風山さんが宮司になられてまもなく、長年の懸案事項だった「赤城神社再生プロジェクト」がスタートします。新しい社殿、拝殿、神楽殿を建て、赤城神社の新しい活動を進めていくための計画です。それまでの赤城神社は、樹齢数百年という樹木に囲まれた“村の鎮守様”
といった空間でした。そこに現代的な集合住宅と社殿、拝殿、神楽殿を建てる計画はさまざまな課題を持ちかけました。そして長年、神社を経済的に支えてきた赤城幼稚園の廃園。
風山さんはこうした問題を真正面から向き合い解決のために心血を注ぎました。新しい神社の設計を担当されたのは、地元に在住で古くから赤城神社と縁のあった隈研吾氏。新しい時代の神社像を求めてプロジェクトはスタートしました。

 
山車の先頭を行くのは天狗(昭和30年代)
 
山車を引く牛(昭和30年代)
平成22年8月、待ちに待った本殿、拝殿、神楽殿等が竣工され、その新しい神社の姿は、様々な分野から話題となりました。竣工奉祝のための記念すべき例大祭や献茶式が予定され、これに先だって本殿遷座祭が執り行われました。遷座祭とは、ひと言でいえば「神様のお引っ越し」。本殿の立て替えの間、仮殿に鎮座していた神様を新しい神殿である本殿にお還りいただく神事のことです。江戸時代天保13年3月の大火で社殿を全焼して以来、なんと約160年振りの神事となります。8月22日は、地域の多くの神職やまちの祭員が集まり、夕刻より神様と祭員の一行は、境内から出発し神楽坂通りに進み、再び境内にもどり、無事新しい本殿に神様は奉鎮されました。
 
遷座祭がはじまる


遷座祭の参列者


夕暮れの神楽坂通りを行く遷座祭の一行


いよいよ神様の“お引越”


たくさんのギャラリーが一行を見守る


神楽坂を練り歩く
 

さまざまなイベントの成功を祈願
 
新しい社殿が竣工されてから、今年で11年目。この10年間の再生・発展ぶりは、注目されています。人生儀礼であるお宮参り、例大祭、大祓い、七五三、などに集う人々は増加し、
結婚式などの申し込み数は毎年人気を呼んで増えています。さらに新しく誕生した「あかぎカフェ」「あかぎマルシェ」「あかぎ寄席」などはより地域に根付いてきました。令和2年度は、コロナ禍の影響を受けてイベントは大幅に減少をしてしまいましたが、2021年後半からは、今まで以上まちの発展・繁栄を支える存在になるものと期待をされています。
 

新しい赤城神社・神楽殿と拝殿

斬新な狛犬

風山宮司

 
赤城神社・拝殿
 

赤城神社・拝殿内部

 
 

第6弾「赤城神社の再生とまちの発展
第5弾「毘沙門様と神楽坂の発展
第4弾「神楽坂の文化イベントはどのように作られたのか?
第3弾「生まれも育ちも神楽坂
第2弾「抱月・須磨子の藝術座の不思議
第1弾「神楽坂と新内
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