「藝術座創立百年委員会」主催の「島村抱月と松井須磨子の藝術座百年」イベントは、2013年10月26日と11月2日の2日間にわたって新宿区の牛込箪笥区民ホールで開催されました。
今から100年前に島村抱月らによって創立された藝術座を顕彰し、その現代における意義を再評価し、その再認識の灯を次世代に伝えていこうと行われたものです。 文:木村敦夫(東京藝術大学非常勤講師/藝術座創立百年委員会副会長)
撮影:青柳裕久

10月26日 第一部「藝術座の唄をめぐって」

開会の言葉をのべる岩町功会長

 10月26日はその第一部「藝術座の唄をめぐって」が催されました。当委員会の岩町功会長、共催・新宿区の中山弘子区長の挨拶に続いて、かつて松井須磨子役を演じた女優の栗原小巻さんが登壇しました。小巻さんは、須磨子の生涯にふれつつ、与謝野晶子の反戦歌『君死にたまふことなかれ』を朗読しました。日露戦争時にこの歌を詠んだ晶子と、それから10年ほどの時を経てまばゆく光り輝く星として登場し、女性の地位向上を身を以って主張し続けた須磨子は、紛れもなく同じ空気を呼吸していた女性なのだということを強く感じさせてくれました。

女優の栗原小巻さん

 次に登壇したのは邦楽研究家の関川勝夫さんです。関川さんは、SPレコードを手巻き式蓄音機で聞かせてくれました。須磨子の生の歌声、台詞読みだけでなく、講義の名手だった坪内逍遥の肉声による歌舞伎台本の朗読まで聞けたことは、得がたい体験でした。

手巻き式蓄音機

蓄音機の説明をする関川勝夫氏

 休憩後に登壇した永嶺重敏さんは、『復活』劇の挿入歌『カチューシャの唄』の戦略的なすばらしさを明らかにし、それがどのようにして日本中で口ずさまれるようになり、『復活』劇の人気の後押しをしたかを分析しました。『カチューシャの唄』こそは藝術座の劇中歌戦略の原点だったのです。

永嶺重敏氏

 第一部の最後に登壇した相沢直樹さんは、ロシアの作家ツルゲーネフの原作と比較しつつ、機智にあふれる語り口で『その前夜』劇を立体的に再現しました。相沢さんの講演の中で『その前夜』劇の劇中歌『ゴンドラの唄』や『復活』劇の劇中歌『カチューシャの唄』などの藝術座ゆかりの歌を披露してくれたのは、ソプラノ歌手の飯島香織さんとピアノ奏者の中畠由美子さんです。飯島さんの巧みな指導のもと300人ほどの観客が中畠さんのピアノ伴奏で藝術座の唄を大合唱して第一部は幕となりました。

相沢直樹氏

飯島香織さん

ソプラノ歌手の飯島香織さんとピアノの中畠由美子さん

観客の皆さんも一緒に熱唱


11月2日 第二部「藝術座が遺(のこ)したもの」

11月2日には第二部「藝術座が遺(のこ)したもの」が催されました。岩町功会長の挨拶に続いての基調講演「抱月のベル・エポック」で、岩佐壮四郎さんは、藝術座結成にさかのぼること11年前の抱月のロンドン、ベルリン留学時代に焦点を当てました。当時その地で活躍していた女優たちは、思うさまわがままにふるまい、自らの身体を賭けて男性の強いる制度や倫理に抗っていました。須磨子はまさに彼女たちの血族の一員なのです。

岩佐壮四郎氏

次に朗読グループ「雁」が『人形の家』と『復活』を朗読しました。抱月作になるこれらの戯曲のエッセンスを抽出するテキストレジは岩町会長が担当しました。その朗読の迫真ぶりたるや、藝術座の舞台を垣間見ているような錯覚に陥るほどでした。

グループ「雁」の皆さん

第二部の締めくくりに「藝術座がのこ遺したもの」をテーマとしたシンポジウムが行われました。パネリストに岩町会長、岩佐壮四郎さん、須磨子研究家の石川利江さん、演劇研究家の中本信幸副会長を迎え、司会は木村が務めました。藝術座は劇団員に十分生活できるだけのギャラを払っていて、現代にあっても様々な劇団が抱えている問題を抱月は既に解決していたことが指摘されました。また、世間に流布している須磨子像は、男尊女卑の視点から作り上げられた虚像なのではないかという意見が出る一方で、抱月の令嬢がたから直接伺った須磨子出現後の抱月の家庭の激変の様子についての生々しい話しも紹介されました。

シンポジウムの参加者

シンポジウムの進行役木村敦夫氏

最後に、中本副会長が、今回のイベントはこれが終着点なのでなく、あくまでも藝術座顕彰活動の「始まり」であり、今後も当委員会はこの顕彰活動を活発に続けて行くという決意を表明して、幕となりました。

新宿区中山弘子区長

閉会の言葉をのべる中本信幸氏

司会の谷口典子さん

※本原稿は、『週刊読書人』11月22日号にも掲載されています。



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