タツ年は、飛翔する神楽坂?
神楽坂で一番歴史のあった「紀ノ善」が令和4年になくなって、干物の定食屋さんができ、うどんすきの「鳥茶屋」が「欧州航路」という物販のお店になり、人気の「鮒忠」が、新しいビルとなって、6フロアーものテナントを待っています。コロナを乗り越えた令和5年は、神楽坂にとっても本当に変化の多い年でした。さて令和6年辰年は、どんな顔したお店が登場するやら。まずは地元の神さま、仏さま、毘沙門さまに感謝をとどけてから……。

 

 

 
泉鏡花の唄にも出てきた「毘沙門天善國寺」
 
東京の縁日の発祥ともいわれている毘沙門天善國寺は、芝の正伝寺、浅草の正法寺と共に、「江戸三毘沙門」と呼ばれ、まちの人々には「神楽坂の毘沙門さま」と親しまれてきました。
本堂の左右にある石虎は新宿区で唯一、台石の刻印は明治初期の水準測量の記号で、残存は全国でも珍しいといわれています。また、内田百聞は『神楽坂の虎』で、この石虎を連想させる小説を書きました。
毘沙門さまは新宿山ノ手七福神めぐりのコースに入っておりますので、新年、心新たに新宿観光振興協会が発行しているマップをウェブサイトからダウンロードし、七福神めぐりをしてはいかがでしょうか。
令和6年1月1日は、午前0時に開門し、午前2時に一度閉門。午前8時より午後5時まで再び開門となります。
 
【DATA】
住所:〒162-0825 東京都新宿区神楽坂5-36
https://www.kagurazaka-bishamonten.com/
 



 

 
牛込の総鎮守「赤城神社」
 
江戸時代、赤城神社は「日枝神社」「神田明神」と共に「江戸の三社」称され、牛込の総鎮守として信仰を集めていました。
この三社による祭礼の山車だけは特別で、江戸城の竹橋から内堀をとおって、半蔵門に出ることが許されていたのです。
現在の広い空を背にしたガラス張りの拝殿や、空に浮かぶような神楽殿は、建築家隈研吾氏の設計によるもので、神楽坂の人気のスポットになっております。
インフルエンザの流行などを懸念し、今年も分散参拝を推奨されており、そのため12月28日より、来年の特別授与品の頒布を開始されたとのこと。

また、令和6年1月1日の歳旦祭は、宮司の計らいで、月次祭の参加経験がある方は参列できるようになりました。詳細は赤城神社の公式サイトにてご確認ください。

【DATA】
住所:〒162-0817 新宿区赤城元町1-10
https://www.akagi-jinja.jp/
 
 



 

 
起源は嵯峨天皇の時代「筑土八幡神社」
 
今から約千二百年前。
近くに住んでいた信心深い老人は、夢で神霊に「われ、汝が信心に感じ跡をたれん。」というお告げを受けます。目を覚ました老人は、身を清めてから拝もうと井戸に向かったところ、井戸の傍の松の上に美しい雲がたなびき、その雲から白鳩があらわれ松に止まったのだそうです。その松に注連縄をゆいまわして祀ったのが起源と言われています。また、敷地内の顕彰碑は作曲家・田村虎蔵のもの。唱歌『金太郎』『浦島太郎』など、多くの名曲を残した田村虎蔵は、生前、この神社の裏手に住居を構えていました。
筑土八幡神社では、12月31日から1月1日に変わった午前零時ちょうどから、参拝者にオリジナルのお皿を配付なされるとのこと。こちらは先着順で数に限りがありますのでお早めにお越しください。

【DATA】
住所:〒162-0815 新宿区筑土八幡町2-1
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/shinjuku/5437/