山田五郎さんと神楽坂

山田五郎さんの訃報に接し、ひとつの投稿が目に留まりました。
投稿したのは、小唄師範の宮澤やすみさん。
『かぐらむら』とは、ずいぶん長いご縁のある方です。

宮澤さんが小唄の道へ進むきっかけは、かつて『かぐらむら』の取材で、小唄の家元を訪ねたことでした。取材する側だった人が、その世界に魅せられ、やがて自らも小唄師範になる。
そんな宮澤さんの活動の節目節目に、山田五郎さんがいました。
テレビに出演するようになった端緒は、山田さんの声掛けだったそうです。ラジオでは「とんだ若旦那野郎」と宮澤さんの活動を面白がり、世の中へ伝えてくれました。
宮澤さんは追悼の投稿で、山田さんを“恩人”と呼んでいます。
私たちにとって縁の深い人の、その恩人。

山田さんの足跡をたどってみると、神楽坂との縁は宮澤さんだけではありませんでした。

何度も暖簾をくぐった蕎麦店
かつて神楽坂に店を構えていた“蕎楽亭もがみ”さん。
現在は岡山へ移転していますが、山田さんの訃報に際し、「東京時代の蕎楽亭もがみ開業以来、本当に足繁く通ってくださり、心から感謝しております」と、追悼の言葉を寄せています。

テレビ番組の取材で、一度だけ訪れたという話ではありません。
蕎麦を食べに行く。
また暖簾をくぐる。
店主の仕事や、その後の歩みを気にかける。
何度も通ううちに店の人との縁が深まり、やがて、客自身もまちの記憶の一部になっていく。まちと人との関係の、ひとつのかたちを見たような気がします。

山田さんは、知識の人でした。
けれど、知っているだけの人ではありませんでした。

面白い店を見つければ、実際に通う。
面白い人を見つければ、誰かに伝える。
自分だけの発見としてしまっておかず、その面白さを外へ手渡していく。

それは編集者として身についた習慣だったのか。
もともとのお人柄だったのか。
おそらく、その両方だったのでしょう。

江戸川橋の向こう側
山田さんはYouTubeの動画の中で、カトリック教徒であることを語っています。また、文京区関口にある東京カテドラル聖マリア大聖堂について、「まあ、おれのところの、行く教会」と話していました。とても山田さんらしい、さらりとした語り口です。
東京カテドラル聖マリア大聖堂は、江戸川橋駅から歩いておよそ15分。文京区関口にある、カトリック東京大司教区の司教座聖堂。そこから江戸川橋を越えれば、神楽坂です。
教会へ行った帰りに神楽坂へ寄ったのか。神楽坂から教会へ向かったことがあったのか。そこまでは分かりません。けれど、山田さんが通っていた教会と神楽坂が、地図の上でそう遠く離れていなかったことは確かです。仕事のために、わざわざ訪ねるまちではなく、暮らしの近くにある土地だったのではないでしょうか。

冷蔵庫にあった、内藤とうがらし
山田さんは動画の中で、内藤とうがらし入りの柚子胡椒を冷蔵庫に常備しているとも話していました。内藤とうがらしは、江戸時代の新宿周辺で広く栽培されていた唐辛子を、現代によみがえらせたものです。地域の歴史を語る材料として知っていた、というだけではありません。買って帰り、冷蔵庫に入れ、ふだんの食卓で使っていた。そこが、なんとも山田さんらしく感じられます。
歴史や文化を、頭の中だけにしまっておかない。良いと思ったものを、自分の暮らしの中へ連れて帰る。
だから山田さんの話には、どれほど深い知識が出てきても、どこか身近な親しみやすさがあったのかもしれません。

2026年7月14日、山田五郎さんはご帰天されました。
けれどまちでは、山田さんが面白がってくれた人たちが、今日もそれぞれの仕事を続けています。
人が遠くへ去っても、人から人へ渡されたものは残ります。

知ることの楽しさも。
誰かの中にある、ものを見つけるまなざしも。
背中をそっと押した、ひと言も。

山田五郎さんのご帰天を悼み、
神の御許での永遠の安息を、心よりお祈りいたします。


参照動画
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