神楽坂通りのにぎわい坂から、路地坂や、細い階段坂まで、思いがけない坂があちこちに。なぜ、神楽坂はこれほどに坂が多いのでしょうか。それはこの辺り一帯が、武蔵野台地の東端にあたる牛込台地と、外濠や神田川へ向かって下る低地のあいだに広がる、起伏に富んだ土地だからです。 江戸時代、牛込御門近くのこのあたりには武家屋敷や寺社があり、外濠沿いでは荷揚げも行われていました。 のぼって、くだって、またのぼる。 一つひとつの坂をたどると、今のまち並みの奥に、江戸から続く土地の記憶が見えてきます。
神楽坂周辺の坂を紹介
01 神楽坂(かぐらざか)
三代将軍・徳川家光が、酒井家の下屋敷へお成りになるために引かれた道とも伝わる神楽坂。地名の由来には、祭礼で神楽が奏された、若宮八幡の神楽の音がこの坂まで届いた、赤城明神の神楽堂があったなど、神楽にまつわる諸説があります。全長は約700メートル。海抜差およそ19メートルを上る、かつては階段もあった急な坂道です。老舗が軒を連ねる通りは、今もまちの中心としてにぎわいを見せています。
02 軽子坂(かるこざか)
外濠に面した神楽坂河岸で荷揚げが行われたことから名づいた揚場町。その先に続く軽子坂は、軽籠を持った人足(軽子)が荷を担いで上がった坂です。漱石一族も神楽坂河岸から船に乗って浅草猿楽町へ向かったと伝わっており、もしかしたら、この坂を下って河岸へ向かった日もあったかもしれません。水辺の物流と台地のまちを結ぶ、暮らしの記憶が残る坂です。
03 三年坂(さんねんざか)
毘沙門さまの近くから本多横丁、大久保通りをつっきり筑土八幡まで続いているゆるい坂。名の由来は定かではありませんが、「この坂で転ぶと三年以内に亡くなる」という少し怖い俗説がよく知られています。
04 御殿坂(ごてんざか)
江戸時代に御殿山と呼ばれた一帯を通る坂道。三代将軍・家光が鷹狩の際に仮御殿を設けたと伝わり、その名が坂名にも残されています。
05 芥坂(ごみざか)
芥坂は、名の由来がはっきりしない坂のひとつです。ただ、一般的には「芥」はごみやちり、草木のくずなどを指す言葉。由来が分からないからこそ、名前から昔のまちの姿を想像したくなる坂道です。
06 相生坂(あいおいざか)
相生坂は、二つの坂道が並ぶ姿から名づいたとも、小日向の新坂と向かい合うことにちなむとも伝わります。別名は鼓坂。神楽坂の複雑な起伏を感じられる、地形好きにも楽しい坂道です。
07 瓢箪坂(ひょうたんざか)
坂の途中がくびれた形をしていることから、瓢箪に見立てて名づけられたとされる瓢箪坂。坂上へ向かうにつれて道幅が変わる様子にも、坂の面白さが表れています。神楽坂の個性派坂道です。
08 駒坂(こまざか)
江戸切絵図の市ヶ谷牛込絵図を見ると、駒坂のあたりには寺院が描かれており、今とは違う土地の姿が浮かんできます。近くには肴町もあり、かつては人や物が行き交うにぎわいのある通りだったことが伺えます。現在は静かな階段坂ですが、歩いてみると江戸の記憶が重なって見えてくるようです。
09 赤城坂(あかぎざか)
赤城神社の近くにあることから名づいたとされる赤城坂。新撰東京名所図会では、かつては車が通れないほど険しい坂であったと記されています。現在も坂の傾きにはその名残があり、歩いてみると神楽坂の台地から低地へ下る起伏を体感できます。(写真の奥から勾配が急になります)
10 朧の坂(おぼろのざか)
神楽坂駅近くにある朧の坂は、短いながらも傾斜を感じる坂道です。坂名の由来は定かではありませんが、「朧」という名前から、かすんだ景色や月夜の情景など、いろいろと想像が広がるのではないでしょうか。
11 朝日坂(あさひざか)
かつて泉蔵寺の境内にあった朝日天満宮にちなむとされる坂。通りには島村抱月と松井須磨子の藝術座跡や、尾崎紅葉の旧居跡があります。
12 袖摺坂(そですりざか)
袖摺坂は、人がすれ違うと袖が摺れ合うほど狭かったことから名づいたとされる坂道です。「大久保通りを隔てた先の地蔵坂へ至る登り坂と、以前は地続きで、あわせて袖摺坂と呼ばれていたんだよ」と語るまちの古老も。当時を想像しながら歩きたい、神楽坂らしい坂です。
13 弁天坂(べんてんざか)
弁天坂は、南蔵院に祀られていた弁財天にちなむ坂です。南蔵院は早稲田から現在地へ移る際、弁財天の上宮とともに移転し、もう一体の下宮は弁天町の宗参寺に祀られたと伝わります。境内にあった弁天堂は第二次世界大戦で焼失し、今はその姿を見ることはできません。弁天町の名にもつながる、信仰の記憶が残る坂です。
14 地蔵坂・藁店(じぞうざか・わらだな)
地蔵坂は、光照寺にあった子安地蔵と、かつて藁を売る店があった藁店の名残を伝える坂です。光照寺は、神楽坂発展の祖ともいえる豪族・大胡氏、のちの牛込氏の牛込城本丸跡に、神田から移転した寺院です。近くには、夏目漱石が通った寄席「和良店亭」もありました。
15 庚嶺坂(ゆれいざか)
庚嶺坂は、かつてこのあたりに梅の木が多かったことから、二代将軍・徳川秀忠が中国の梅の名所「庚嶺」にちなんで名づけたと伝わる坂です。別名に行人坂、唯念坂、幽霊坂、若宮坂とも呼ばれていました。外濠から神楽坂 若宮八幡神社まで続きます。 古地図:国会図書館デジタルコレクション『市ヶ谷牛込絵図』『小日向絵図』より(共にパブリックドメイン)