最終上映日には、必ず行列ができる飯田橋ギンレイホール(2022年11月27日休館)。名画座という枠にはおさまりきらない様々な活動は、デジタル化の流れに一石を投じるだけでなく、新しい名画座のあり方に挑戦しているようでもある。そこでギンレイホールの代表・加藤忠氏にその多方面にわたる活動をおうかがいしました。(写真提供 ギンレイホール)
98%の映画館がデジタル化した時代に
長岡東京中に名画座が数多くあった時代、私が10代から20代の頃ですが、毎週新宿や池袋にあった名画座に出かけるのがなによりの楽しみでした。振り返ってみると、60年代から70年代は名画座の全盛期で、その後80年代になるとレンタルビデオの店が全国に普及しました。90年代後半からはシネコンが増え、2010年以降、映画館はデジタル映写機の時代になりました。35㎜のフィルム映写機は、まちからどんどん消えていきました。
加藤アナログからデジタルへ、いまや全国の映画館の98%近くがデジタル化しています。急速なこの変化の中で、フィルム映写機は活躍の場がどんどん失われていきました。私の35mmフィルム映写機保存活動は、こうした中で始まったわけですが、それ以前から映画のポスターやスチール写真など、映画資料となるものは映画の文化遺産として大切にしてきました。
長岡ギンレイホールが保存しているアーカイブは、一つの映画館が収容する域をはるかに超えていますね。

加藤先代のオーナー鈴木幸長さんや支配人の潮見洋子さんの時代から「捨てないで残そう」という確固たる信念があって、ポスターやスチール写真などを貴重な映画資料として残してきました。それを私も受け継いできたのです。ポスターなどは埃をかぶって三つ折りのまま館内のあちこちに積んであった、それらを集めてきてズボンプレッサーのように皺をのばせないものだろうかと、クリーニングの白洋舎に相談したんです。ところが断られてしまって。結局、社内でアイロン掛けをすることにしたんです。ちょっと暇にしていた女性スタッフに仕事として任せたのですが、来る日も来る日も1枚ずつ布を下に挟んでアイロン掛けをさせました。今は特殊な高熱加工で紙のしわを伸ばす機械ができているそうですが。
長岡ギンレイホールの30周年、40周年の節目になるとそれらの苦労して磨いてきたアーカイブスがドーンと展示されるのですね。
映画の看板絵から昔の映画館の展示まで
長岡ポスターなど紙のものはその後、順番にスキャンしてデジタル化もされたそうですが、面白いのは、看板絵。ちょっとどぎつい色彩ですがすごく躍動感やワクワク感がにじみでて、いい感じですね。ラムラの都橋でずらりと並んだのを覚えていますが、あれは壮観でした。

加藤看板絵も面白いですが、昔の映画館建築の中には実に魅力的なデザインのものがあって、これらの写真も集めて駅ビルのラムラで展示したこともありました。40周年の年だったと思いますが。
長岡あれはとても興味深かった。建物そのものに夢がありました。映画というものに対する昔の人たちの夢のようなロマンチックな思いが外観の設計に表れていましたから。加藤さんといえば「フィルム映写機の伝道師」などと新聞記事でずいぶんと喧伝されましたが、それだけじゃない面は案外出てこない。マスコミのステレオタイプ化がちょっと残念です。こうした映画文化の面白いものをたくさん収集しているのに。それにしても成田映画センターのフィルム映写機は、すごい数ですね。

加藤最近はいったん(集めるのを)休んでいます。
長岡どのぐらいの数になったのですか?
加藤160台は超えています。
長岡1台200キロ近い鉄の塊が160台も……。なにか集めるということに執念を感じさせますが。
加藤私は映写機の収集家ではなく、35mm映写機の保存と再活用を目的に収集しています。
長岡そうでした。そういえば、映画館の仕事より前に、私は水琴窟の取材で加藤さんとご縁ができたのですが、当時(30年近く前)、まだ水琴窟というものが世間であまり知られていない時に、日本中に残されている水琴窟をすべて探し出して紹介するという、出版界のだれも考えないような出版計画を立てました。その無謀ともいえる計画のおかげで、私は江戸後期から昭和初期までの古い水琴窟をめぐる取材旅行を長い間たのしませてもらいました。いま考えると、とても贅沢な計画でしたが、これも水琴窟の世界を集大成したいという思いが強かったのでは?
加藤1年以上かけたプロジェクトで、面白かったですね。宝探しのようで、日本各地(主に関西方面ですが)から昔の水琴窟が次々と見つかって……。
長岡あの集大成をした本『幻の音風景・水琴窟』が発行された翌年に、たしか岩波の『広辞苑』の改訂六版に水琴窟の言葉が採用されたと思います。今では、あれが水琴窟の教科書となって認知されている。
加藤水琴窟の前にも、いろいろ集大成しようとしたものはあったんですよ。
長岡そうなんですか? 集大成のいわばプロジェクトXはまだ他にもあったんですか?
加藤そのずっと前には『別荘地年鑑』という分厚い豪華本を発行しました。それで日本中の別荘地を集大成しようと試みたんですが。
長岡現在ギンレイホールは、デジタルとアナログのいわば二刀流で上映していますね、通常の上映プログラムはデジタル映写機で、毎月1回(金・土)のオールナイト作品ではフィルム映写機を併用。こうした二刀流の映画館は都内にほかにもあるのですか?
加藤ほとんどの映画館はデジタル映写機に入れ替わりました。最初に言ったように98%ぐらいでしょうか? 昔のフィルム映写機を活用できる新作が作られなくなり、映画の制作も、配給もすべてデジタルでやり取りされる時代に入ったわけです。中には昔のフィルム作品で特集を組んで上映している映画館もあります。例えば、池袋の「新文芸坐」、高田馬場の「早稲田松竹」、神保町の「神保町シアター」などは旧作の特集で知られています。これらのミニシアターや名画座では、いまも映写技師がいてフィルム映写機が活躍しています。
キャラバン・トラックに映写機をのせて走る!
長岡ギンレイで私が一番待ち焦がれていたのが、キャラバン・トラックです。これは、それこそ加藤さんから繰り返しお聞きしていた話なのですが、なかなか実現しなかったので正直言ってほんとうにできるのか懐疑的でした。だから実物のトラックを運転されてきた時は、おどろきました。

加藤みんなに見せたくて銀座や神楽坂の通りを、幌を光らせて走ったりしましたよ。
長岡この話は、西崎春吉さんという移動映画の実践者との出会いを連想してしまいますね。西崎春吉さんという方は、北海道で小型トラックに映写機などの機材を一式積んで、野や村を走りまわって子どもたちに映画を観せていた方で、まるで絵本の中のような方でした。函館周辺では知られた方で、私が出会ったときにはもう高齢でした。その方を加藤さんが東京にお呼びした……確かギンレイ30周年の記念イベントの時で会場は中野「ゼロホール」でした。

加藤西崎さんはひと昔前のカーボン映写機を使って上映する方で、その動きが実に職人のようで魅力的でしたね。カーボン(炭素)の棒と棒を近づけると火花が出ますが、その火花を光源として上映するのです。
長岡西崎さんがランニングの肌着姿で夢中になって操作していた姿をよく覚えています。その時の作品はフランス・アニメの『木を植えた男』で、私は西崎さんのお手伝いで1日そばにいたので火花にゆらぐアニメの映像をすっかり覚えてしまった。西崎さんのフィルムリールの交換さばきなんか見事で、役者のようでした。
加藤彼は若い頃に日活の俳優をめざしていて、同期の渡哲也と一緒に出演している写真が自慢でしたね。

今年の「神楽坂映画祭」は、活弁とピアノ演奏によるサイレント映画祭
長岡なんだかすっかり思い出話になってしまいましたが、あの西崎さんの世界と、加藤さんがつくった映画キャラバン・トラックがどこかで繋がっていて、私の記憶の中にありますが。
加藤そうですか。長岡さんは映画青年だからそう思ったのでしょう。ギンレイ・キャラバン・トラックをつくる経緯はいろいろありました。それはうちの映画館にデジタル映写機を入れる前から、フィルム映写機の魅力を伝えたいという考えで進めていました。ギンレイホール35周年に飯田橋ラムラを会場にして映画祭をやりました。エントランスホールにはいままで集めた映画ポスター、スチール写真、映画看板絵などを展示し、また野外にスクリーンを張ってフランスのおしゃれな短編映画『白い馬』『赤い風船』などを上映しました。このイベントを偶然見ていた金沢のイベント会社の人が、金沢の旧県庁跡地にできた「しいのき迎賓館」で竣工記念に同じものをやってもらえないかと。でもこの時は、まだキャラバン・トラックはなかった。翌年の3月にあの東北大震災が起きました。そしてその年の12月にやっとキャラバン・トラックが完成したのです。
長岡でも私が加藤さんから繰り返し聞いていたのは、それよりも5、6年前のことですね。
加藤キャラバン・トラックが初めて活動したのが、震災翌年の3月11日に仙台市の「三越スタジオ」でした。この時は「仙台ノスタルジア映画祭」と銘打って、柳下美恵さんのピアノ演奏つきでサイレント映画と西崎春吉さんのカーボン映写機の上映とをやったのです。仙台郊外の仮設住宅に住んでいた被災された方々をご招待しました。


長岡ほんとにいろんな活動をやってきましたね。地元でも、「神楽坂映画祭」で毎年面白い企画ものをやっていますが、今年秋の「まち飛びフェスタ」参加企画はもう決まっているのですか?
加藤今年はサイレント映画特集です。10月の22、23、24日を予定してます。初日は山崎バニラさん、2日目は柳下美恵さん、3日目は澤登翠さんに活弁やピアノ演奏をお願いしています。
長岡成田の映画センターでも計画があると聞いていますが。
加藤今秋、「成田山書道美術館」をお借りして「ギンレイ映画アーカイブ・フェスティバル」(仮)というのを大々的に開催するつもりです。またこの時期に合わせて「成田映画センター」でも160台のフィルム映写機を一般公開して来場者にその魅力を広く知ってもらおうと考えています。開催期間は「神楽坂映画祭」の1週間前10月16日から21日までです。ぜひ興味のある方にはいらしてほしい。
長岡ギンレイの新たな「プロジェクトX」がはじまること大いに期待しています。
【編集部より】
ギンレイホールは2022年11月27日(日)をもって休館いたしました。再開をお待ちしています。
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