年々増え続ける神楽坂の文化イベント。小誌「まちの時間割」コーナーは今も増加し続けています。その中にあって小誌創刊前から時代を映す不思議な場所として注目されてきた場所、セッションハウス企画室代表の伊藤孝さんにお話をうかがいました。(撮影:伊藤孝)

ダンスへの希求とその背景

長岡「かぐらむら」も九八号、そろそろ振り返ってみてもいい頃ではと思い、インタビュー企画をやってみることにしました。この小さなタウン誌を神楽坂ではじめた時、三つ取材してみたい所がありました。その三つは、セッションハウスと矢来能楽堂と毘沙門天なのです。何の脈絡もないのですが、「まちの時間割」ページというのを作った時、この三つの場所が気になったのです。

伊藤どんなところが気になったのですか?

長岡うまく言えませんが、共通項は、まず経済活動とは違うこと、どれも身体を使っている場であること。毘沙門天は、朝にカンカンと激しい音を鳴らしておつとめをしています。セッションハウスは、身体そのもので表現するダンスの場として機能しています。また矢来能楽堂の舞いは、抑制された動きの中で逆に強く身体を感じさせるものがあります。身体を使うにしても、労働やスポーツではなく、その目指しているものから不思議な場所に思えていたのです。セッションハウスには、身体表現を求める人が集まって来る所だと思うのですが、いつ頃から始められたのですか?

伊藤一九九一年に設立したのですから、もう二七年前のことになります。始めからウイークデイはダンスのクラスをやっていましたが、週末には最初はダンスだけでなく音楽のコンサートなどさまざまな催し物を企画していました。その頃はまだダンスを志す人は少なかったのですが、一九九五年前後からでしょうか。ダンス表現をやりたいという人が右肩上がりに増えてきたのです。そのためノンセレクションの公募企画をはじめ、さまざまなダンス・プログラムを企画して実施し始めました。その中からダンスの第一線で活躍するダンサーが多数輩出してきましたし、今やメジャーになった近藤良平君が率いる「コンドルズ」のようなカンパニーも生まれてきましたし、伊藤直子が主宰して一九九三年に旗揚げした劇場付きの舞踊団マドモアゼル・シネマが、活発に公演活動を展開し始めたのもその頃でした。そして九〇年代の終わり頃からは海外からのダンサーの来日も増え国際交流も活発になってきましたし、今では年間に五〇を越えるダンス・プログラムを企画するようになっています。

マドモアゼル・シネマ「そらの街から」(撮影:伊藤孝)
近藤良平(撮影:伊藤孝)

長岡それには何か時代的な背景があったのでしょうか?

伊藤やはり情報革命というか九〇年代になって急激なデジタル化があったからではないかと感じています。そういうところから肉体的表現としてのダンスのようなものへの希求、欲求が出てきたのではないでしょうか。私は身体というと記号的に思える言葉なので、あえて血が流れ筋肉が躍動する肉体という言葉を使う方が、ぴったりするように思えますので、あえて肉体という言葉を使わせていただきます。そうした観点からいうと、意識してか無意識かどうかは分かりませんが、肉体の喪失への危機感がダンス的表現を求める背景にあるような気がするのです。

 

戦後と肉体の復権

長岡私もどちらかというと肉体という言葉を使って論じた方がいいと思いますね。

鈴木竜(撮影:伊藤孝)

伊藤肉体という言葉が使われたこととして思い出されるのは、敗戦後間もなくアプレゲールの姿を描いた田村泰次郎の「肉体の門』という小説がありましたね。戦争の時代は精神主義が強調されて肉体はゴミのように粗末に扱われていました。日本の軍隊は兵站を軽んじたため、兵士の七、八割は餓死か病死で、戦闘で死んだ者よりはるかに多かった。中国でもインパールでガダルカナルでもどこでも、十分な食糧・弾薬を提供されず大和魂だけを強要されて多くの兵士が命を落としたのを思うと、肉体の軽視にはなはだしいものがありました。そこに戦争が終わり『肉体の門』が登場して、いわば肉体という言葉が堂々と使われるようになった。そして時代が下がって六〇年代終わりの頃に、演劇やダンスの世界に唐十郎の『特権的肉体論』や土方巽の「肉体の叛乱」という演劇論やダンス論が登場し、アングラ演劇の役者や舞踏ダンサーが百花繚乱の活躍を始め、エポックメイキングな時代を創り出したように思います。

笠井瑞丈(撮影:伊藤孝)

長岡私も一〇代の頃に唐十郎さんが現われて、紅テントを何度も観ました。舞台も演出も脚本もいいけれど、演じている役者の個性的な肉体が大事なんだという唐さんの「特権的肉体論」という演劇論に衝撃を受けました。この本読んでみると詩人の中原中也のことを論じたことが多かったような印象がありますが。ところで最近どうしても違和感を抱いてしまうことに、電車に乗ってスマホをいじっている人が気になります。一〇人中八、九人が下向いてスマホを見ている。あの小さな情報端末を覗き込んでいろんな情報を取り出しているのでしょうが、私には逆にあの端末から個人情報が吸い上げられて、人はどんどん標準化、均質化させられている。まわりにいる隣人の気配もどんどん希薄になってきている気がしてなりません。

 

まちから消えていくもの

伊藤まるで人間の世界はスマホに支配される時代になっている感がありますが、それと並行して面と向き合った人間関係の希薄化が色濃くなってきており、戦争中とは違って食べ物は溢れているけれど、新たな肉体性の喪失の時代がやってきたと言えるかも知れません。またスマホが席巻する一方で、最近本を読む人が減ってきているということも言われていますよね。それに関連して舞踏の創始者の一人である笠井叡さんに『カラダという書物』という本のことが思い浮かんできました。

笠井叡「日本国憲法を踊る」(撮影:伊藤孝)

長岡私もセッションハウスで笠井さんの講演があった時にその本を買って、読みました。

伊藤この本のタイトルは、キーワードとしていろんなことを考えさせてくれます。人間のカラダには、生まれてから成長してくるまでのさまざまな記憶、ケガや病気の痕跡、過ごしてきた環境からの影響などがぎっしりと詰まっている。ですから確かにカラダを多くの記録を内包した書物として見ることができますね。私はそのタイトルを逆転してみます。『書物というカラダ』と置き換えてみるのです。最近は、スマホで情報を得、小説でも漫画でもタブレットで読む人が増えている。タブレットは文字のサイズが拡大できるので視力の弱い人には便利かも知れませんが、肉体性を感じられない。しかし書物には、それを持った時の重さや形、手触りなどがそれぞれ違い、肉体性を持っているものと言えなくもない。スマホやタブレットからは書物のような肉体性が感じられないのですね。

柿崎麻莉子(撮影:伊藤孝)

長岡まちから本屋さんが消えていくのと、書物が肉体性を失っていくのと同時進行しているような。若い人は自分の肉体に対しても意識が希薄になっているのでしょうか。

 

新たなる肉体性への発見

伊藤そうした時代の趨勢の中で、ダンスをやろうという人には個々の濃淡は別として、肉体性の希薄化や喪失への危機感が潜在しているように思います。もちろん一人ひとり違いがあって、手軽に小手先のアイディアで作品を創って事足れりとしているダンサーも少なくありません。でも中には肉体の可能性や限界を追い求めているダンサーたちも沢山います。『カラダという書物』の著者の笠井叡さんは一九七〇年代以来今なお現役の舞踏家として活動し続けており、セッションハウスでも度々踊っていただいていますが、「鰓呼吸」という独特の呼吸法で長時間息切れ一つしないで踊るダンス力には圧倒されるものがあります。これも肉体の可能性、不可能性を考察しながら踊ることの意味を追求してきた笠井さんならではのなせる技だと言えるでしょう。セッションハウスのプログラムは、主に個々の振付家・ダンサーのオリジナリティで成り立つコンテンポラリー・ダンスを軸に企画していますが、日本独特のダンスである舞踏から学ぶことが多々あると考え、「ダンスブリッジ・インターナショナル」というシリーズの中で、昨年初めてBUTOH特集を設け、三組のダンサーに出演してもらいました。その中の一人に麿赤児氏の大駱駝艦から独立して活動し始めた奥山ばらば君というダンサーがいますが、彼は舞踏による身体法を軸にしながら更なる緊張感と強度のある立ち方を模索するなど、肉体へのあくなき追究をしています。また今年創立二五周年を迎えたマドモアゼル・シネマは、ダンスシアターの手法で、ダンサー一人ひとりの肉体が内包している記憶や経験を基にしたダンス物語を創り、言葉をまじえて肉体表現の在り様を追究し続けています。その他独自の肉体表現で作品創りに挑戦する若手ダンサーたちが次々に育ってきてもいる。それらは肉体性の喪失という闇に光射すものとして期待していいでしょう。

奥山ばらば(撮影:伊藤孝)

長岡私が昔からセッションハウスが不思議な場所だと思うのは、そういう魅力的で不思議なダンサーの方々が登場する場所だからかも知れません。神楽坂の中ではセッションハウスは(町名は矢来町ですが)、とてもワクワクする場所です。今年いっぱいで「かぐらむら」も休刊となり、セッションハウスのイベント情報を紹介できなくなるのが残念ですが、これからもすばらしい活動を期待しています。

Idit Herman

セッションハウス

セッションハウスは、ダンスを軸とした舞台芸術のための”地下スタジオ“と、美術の場としてのギャラリー“ガーデン”を備えたアートのための総合的スペース。一九九一年の創設以来、次代を担うダンサー達の育成とコンテンポラリー・ダンスの底辺拡大を図っている。二〇〇五年、第一三回全税協地域文化賞受賞。〇八年、マドモアゼル・シネマの伊藤直子が作品「不思議な場所」の振付で平成二〇年度文化庁芸術祭新人賞受賞。一一年、マドモアゼル・シネマがポーランド・グリフィノ国際フェスティバルで観客賞受賞。




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