神楽坂が神楽坂らしさを守っていくために昨年11月に立ち上げられた活動の総称です。フェイスブックやブログの情報発信からはじまり、今後どのように展開していくのか大いに期待をされています。
まちにとって大切なお店が閉店した年

振り返ってみて昨年平成28年度は、神楽坂にとって大きな変わり目の年でした。大久保通りの拡幅計画の進展によって、坂上交差点の河合陶器店、山下漆器店が閉店しました。坂下では山田紙店(明治23年創業)が1世紀を超える暖簾を下しました。またホン書き旅館として広く知られる和可菜は、1年程前から休業しています。

神楽坂はいま大きく変わりつつあります。その一番のもとになっているのは、大久保通りの拡幅計画です。戦後間もない昭和21年度に立てられた道路計画が、70年の歳月を経て実施されようとしているからです。すでに筑土八幡神社の直前まで来た拡幅道路は、次の目標地点として神楽坂坂上交差点に迫っています。

「まちの分断」を一番おそれる

この大久保通りの拡幅問題でまちの人たちが一番おそれているのが、「まちの分断」です。今まで18m幅員の道路が、30mに拡幅されることによって引き起こされる地理的な分断は距離の問題にとどまらず、一つの文化圏の分断、ひいてはコミュニティの分断を引き起こすのではないかとおそれられています。

さまざまな分断がはじまる先ぶれとして、坂上交差点の昔から親しまれてきた店舗の閉店です。山下漆器店も、河合陶器店も阿波踊りや落語のイベントでは、その先駆けとしてまちの行事をリードしてきた大切なお店でした。
商店街だけではありません、町会も変化を迫られています。白銀町会では一つの班がそっくり失われ、神楽坂5丁目町会では約20世帯が転居を余儀なくされつつあります。こうした変化の状況で、「神楽坂が神楽坂として、そのらしさを守っていく」ためには、まずは情報を発信しようとして、立ち上がった活動を『Save the Kagurazaka』と名付けたのでした。

英語による情報発信も積極的に展開

その具体的な活動内容は?というとまずはフェイスブックとブログを立ち上げて専用のサイトで広く広報していくこと。昨年の11月ネット上に登場したこのサイトでは、大久保通り拡幅問題だけでなく、神楽坂の魅力として、路地の景観、伝統芸能、文化イベントなども広く紹介していく方針です。その運営主体は、NPO法人粋なまちづくり倶楽部で、神楽坂まちづくり興隆会がとも連携をとっていく予定です。

また国内だけでなく、世界にも発信していく目的で英語版も積極的に作成されています。まだ、立ち上げて2、3カ月なので記事は多くはないですが、これからに期待が集まっています。

未来へ繋いでいくメッセージを

今後の具体的な活動としては、「大久保通りの将来ビジョン、大久保通りの将来図(具体案)の作成、シンポジウムや地域説明会の開催、行政(東京都・新宿区)との話し合い」などを予定しています。始動まもない『Save the Kagurazaka』ですが、これからどのように情報拡散し、具体的な活動として実を結んでいくのか、まちの人々の理解と協力が求められています。


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