第6回 音楽之友社と昭和のこども会

新潮社と並んで神楽坂の出版社で忘れてならないのは、音楽之友社である。今から20年ほど前、私は月刊「音楽之友」で「音楽で逢いましょう」と題した連載を持っていた。その連載がまとまって同じタイトルで単行本として出版していただいた。

今、私の肩書は「料理評論家」だが、料理以前に「落語評論家」として、落語、漫才などの演芸の評論、エッセイを書いていて、私の処女作は早稲田大学の卒業論文「桂文楽の世界」なのだが、落語以前の私の情熱の対象は「クラシック音楽」だった。

台東区立上野中学校に区域外から越境入学した私は、同じ区域外の浅草から越境入学してきたF君とすぐに仲良くなった。クラスでの席が近かったこともあるが、同じ剣道部だったことがきっかけで、彼の家に遊びに出かけ、そこで「クラシック音楽」と出逢ったのだった。

当時まだ珍しかったステレオで映画音楽やポピュラー音楽を聴いたのち、F君が1枚のレコードを取り出し、「僕の好きなクラシックなんだけど、聴いてみる?」と言って、カーテンを閉めてから、レコードにそっと針を落とした。

曲が始まるや、闇の中からいきなりヴァイオリンの一筋の光が広がって、今まで聞いたことがない音の世界が広がっていった。ヴァイオリンが麗しい音色を輝かせ始めると、夢の世界に誘い込まれるように、我を忘れ、心を鷲掴みにされたのだった。

演奏が終わったとたん「この曲、なんていうの?」と尋ねると、彼は「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲さ!」と何か誇らしげに言い放った。この瞬間から、私のクラシック音楽遍歴が始まった。レコードはアイザック・スターンのヴァイオリン、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏だった。

それからほどなくして、彼から音楽会に誘われた。日比谷公会堂での「慶応大学ワグネルソサエティ」のコンサートだった。親の了解を得て、彼と二人で出かけることになり、地下鉄銀座線の稲荷町駅で待ち合わせし、浅草から乗ってきた彼が電車から降り立つと、彼はなんと蝶ネクタイをしているではないか。中学1年生にしては、とてもマセた感じで、自分よりかなり年上に見えたのが衝撃的だった。

それが中学を卒業すると高校は別々になり、疎遠になってしまったのだが、30年ぶりに学校の同期会で再会すると、たちまち音楽の話になり、そこに一人1年生の時に同じクラスだった仲間が加わった。それが、二期会のメゾ・ソプラノとして活躍中の青木美稚子だった。

たちまち、「青木美稚子」のコンサートを開くことにし、F君こと古川明が事務方及びコンサートの裏方、私がコンサートの進行役を担当することで意見がまとまり、会場は飯田橋に仕事場を持っていた古川が「音楽之友社」ホールを見つけてきたのだった。

3人の会の名称は「昭和のこども会」。このコンサートは好評のうちに会を重ねていったのだが、3年前、古川ががんの病に倒れ、それきりとなってしまった。いつか、彼を楽しく思い出すコンサートを「音楽之友社」ホールで開きたいと思っている。

やまもと・ますひろ
一九四八年東京生まれ浅草育ち。早稲田大学第二文学部演劇科卒業。卒論「桂文楽の世界」がそのまま出版され、評論家としてデビュー。一九八二年「東京・味のグランプリ」で料理評論のジャンルを切り拓く。主な著作に「至福のすし すきやばし次郎の職人芸術」「イチロー勝利への十ヶ条」「立川談志を聴け」最新刊は「東京とんかつ会議」(共著)。