第六回 永遠に未完、いつも進行形、いつまでも?

考えてみれば、神楽坂のまちづくりにかかわって40年。70歳の古希を迎えてもなお、まちづくりに夢中の私を見て、まちの人は少々あきれているのではないだろうか。しかし、私にだって神楽坂のまちづくりから退場していく日は来る。それはそう遠くない。そこで最終回なので、まちづくり全体について私なりにささやかな思いをお伝えてして終わりにしようと思う。

現在の神楽坂とその周辺の状況をみると、先の見えない時代に入っていると思う。戦後何もない焼け野原から、つまずきながらも戦前の賑わいの復活を目指してきた神楽坂。復興するにあたって江戸時代からの地割に沿って再建してきた町並みは、どこか江戸からのまちの記憶を残し、その後のまちづくりも歴史、伝統文化を大切にして発展してきた。その甲斐あってか、いまでは路地や横丁のまち歩きが人気で、数多くの人が訪れる。昔からの花柳界もあり邦楽などの和の文化も健在だ。最近では、東京名所のようにテレビや雑誌で報じられている。商店街も活気づき、まち全体が華やいでいる。NPOの活動は古くてもよいものを残す計画を提案し、まちを保善しながらヒューマンスケールの都市空間を守ってきた。

こうした今までの流れが今、大きな岐路に立たされている。大久保通りの拡幅が現実的なものとして立ち塞がり、早稲田通りや外苑東通りも拡幅が計画されている。ヒューマンスケールの居心地のよい都市空間は、車の幹線道路に分断されていく。戦後間もなく立案され計画された道路計画が、70年近く過ぎた今になって大きくまちを変貌させようとしている。居心地のよいまちは変わり、まちで守ってきた景観やたたずまいが、これからは激変していきそうだ。

私は、また根本から考えてみたくなる。そもそもまちづくりとは何なのか? 何のためにやってきたのか? 何を目標に進めたらいいのか? 目標を見失った時には、皆が集まって、まちづくりの〝そもそも論〟から始めるのがよい。平成9年に発行した「神楽坂キーワード集」を作った時のように。たっぷりと時間をかけて、まちの老若男女で話しあうことが大切だ。なぜなら、それらの話し合いを通してまちへの思いが次世代へと伝えられていくからだ。これから変貌していくまちの住人は、ほかならぬ次世代の若い人々が中心になるからである。

ここでもう一つ若い人に伝えておきたいことがある。それは、今の神楽坂のまちや、まちづくりは、私や私と同世代のものであり、決して貴方がたのものではない。私たちは何度となく自分たちの力のなさに気付かされて、途方に暮れたことがあった。そんな思いがいくつもつみ重なりあって自分たちのまちや、まちづくりへと辿り着いたのだと思う。

前回の原稿で「ギャラリーのあるまちづくり」の話をすると予告したものの、よくよく考えてみると、これもまだ私のまちづくりへの執着であり、未練であると思う。この話、やはり、おさえておさえて、またの機会にゆずりたい。

結論を急いで求める必要はないと思う。まちづくりは永遠に未完であり、常に進行形なのだから。大切なことは、途切れることなく思いをリレーしていくまちづくり、遠慮なく本音で話せるまちづくり。そのための場所づくり、機会づくりがなによりも必要なことではないだろうか。(了)

さかもと・じろう

1945(昭和20)年、中国上海生まれ。東京理科大学建築学部卒。坂本商店四代目。神楽坂まちづくりの会々長