第四回 手古舞(てこまい)や半纏姿で行事に参加

神楽坂の行事は、一年間いろいろありますが、私たち花柳界の芸者衆もそれぞれの行事に参加した楽しい思い出があります。昭和40年中頃に毘沙門天善國寺の改装が無事に終了した落慶式で手古舞の格好で神楽坂通りを歩きました。浅草の三社祭りなどでは、今でも手古舞の姿で芸者衆がまちを練り歩きますが、神楽坂ではめったに見られない光景です。

手古舞姿の私と母

私は二十代の半ばだったと思いますが、下の写真は、眞由美、文栄、由みゑ、八重千代、美どりの五人が手古舞をした時の姿です。カラーでお見せできないのが残念ですが、片肌脱ぎにして見せている緋色の刺繍の襦袢と揃いの手古舞衣裳、名入りの赤い提灯を下げた姿は、なかなかの見ものです。神楽坂通りには、まだ街路樹もなく、昔の街並みがなつかしく感じられます。行列の先頭には、鳶のかしらが立って歩き、普段とはちがった姿をお見せできてほんとに楽しいひと時でした。

手古舞姿の5人の中央にいるのが私

秋の若宮神社のお祭りには、芸者衆は揃いの半纏を着て、神輿をかついだものです。ある企業の方が芸者の名の入った半纏を一人ひとりに寄付してくださり、それをまとってかついだのです。この時のコースがおもしろくて、目立つ表通りは芸者が元気よくかつぐのですが、ちょっと人通りの少ない路地にくると、男性のかつぎ手に交代をしちゃうのです。お祭りの夜は、半纏をつくってくださった企業の方々が、私達を料亭『高藤』に呼んでくれて宴を開いてくれました。いまとちがって芸者の数も多かったので女神輿もにぎやかでしたね。そうそう筑土八幡神社の千貫神輿というのも、一度かついだことがあります。なかなか重々しい大きな神輿でした。

神楽坂3丁目の女神輿。先頭にいるのが私

今年の十月には、津久戸小学校開校百十周年の記念祝賀会があるのですが、そのお祝いの席で日舞を披露するご依頼をいただいております。以前何十周年の祝賀会の時にも踊らせていただきました。その時には雅子姐さん、孝美ちゃんと三人で踊りましたが、今回は一人なのでちょっとさびしい気がします。鏡花先生の「ひと里」、それに「奴さん」「さわぎ」の三曲を予定しています。卒業生の一人としてお声をかけてくださった事を、うれしく感謝しております。

また、十月二十五日(土)には、神楽坂の「志満金」で『投扇興と東八拳の会』ありますが、この会には芸者四人で参加いたします。東八拳は、なかなかむずかしいのですが、ただいま特訓中です。このようにまちの行事に多く参加させていただければ、神楽坂のまちの発展にほんの少しお役に立てるのではと考えています。今後ともこのようなイベントにぜひ参加させていただきたいと思っております。

さいとう・れいこ

昭和21(1946)年生まれ。生粋の神楽坂っ子。昭和36年にお酌でお披露目、昭和39年東京オリンピックが終わってから一本に。只今は常磐津(浄瑠璃)の語り方