第六回 大学の文化祭と企業のカレンダーに

今回で最終回です。まだまだお話をしていないことが山ほどありますが、特に印象深かったことをお話しいたします。昭和五十一年の秋に、東洋英和女子短期大学の学生さん達から、文化祭の研究テーマの一つに「芸者の世界」が選ばれて、取材を受けたり、資料となりそうなものをお貸ししました。その時のタイトルは『日本の情緒と文化〝芸者〟』というものでした。私たち神楽坂の芸者は、お嬢さん学校で、いったいどんな研究をして、どんな発表をするのだろうかと、興味津々でした。文化祭の日がやって来て、六本木にある短大の会場に行きましたら、女子学生の方たちが真剣に取り組んでいて下さったことをうれしく思いました。

文化祭でインタビューされる洋装の私

その時の会場にどんなものがあったかと言いますと、「芸者さんの一日」という展示では、「神楽坂の美苗さんを24時間追跡調査」と称して、写真と解説付きで丁寧に一日の生活を紹介しています。お貸しした衣装や道具類のコーナーは、三味線など鳴り物、長唄、小唄、清元、常磐津などの各見台、扇子類など。また日本髪の高島田、つぶし、前割れ結い方の違いを写真で説明したコーナー、さらに「お酌さんの簪12か月」など見ごたえのある内容でした。普段自分たちが日常的に触れているものでも、このようにまとめて展示されると、美しく素晴らしい世界のように感じるから不思議なものです。また、芸者のインタビューコーナーもあり、私たちは緊張しながらも楽しい文化祭の一日を過ごさせていただきました。

もう一つ印象深い体験は、カレンダーのモデルになったことです。昭和五十四年度から四年間、大手食品メーカーが外国のお得意様へ差し上げるためのものでした。当時新宿区の河田町にあった本格的なスタジオで、時間をかけて撮影した写真を6枚つづりにした大判のカレンダーです。四年間は、神楽坂の芸者が四、五名登場しました。

四季折々の情景とスタジオでの撮影を合成

撮影にはポーズが大切ですのでカメラの前で自分からいろいろなカタチをしてみて、それをポラロイドカメラで撮影。その中からプロのカメラマンの方が、絵になりそうなポーズを選んで撮影しました。当時の組合長や、女踊りでは一番の雅子姐さんが付き添って手伝ってくださったことを思い出します。こうして手間ひまかけてやっと完成したカレンダーの私の写真の部分だけを別にプリントして、まとめてくださった方がいらしたので、ここに使わせていただきました。お酌でお披露目してから半世紀以上たっても、楽しかった思い出だけはいつまでも続いて、思い出す度にうれしいものですね。(了)

さいとう・れいこ

昭和21(1946)年生まれ。生粋の神楽坂っ子。昭和36年にお酌でお披露目、昭和39年東京オリンピックが終わってから一本に。只今は常磐津(浄瑠璃)の語り方