第五回 お正月と獅子舞

お正月が近づいてまいりましたので、私が20代の頃のお正月の思い出話をいたします。お正月は、縁起物が好まれましたので、獅子舞をしてお座敷を渡り歩きました。獅子舞は、獅子頭が重くたいへんなので二人が交代で舞いました。


緑豊かな再開発で創られた保育園(ミュンヘン)

上の写真では、け以子姐さんと初栄姐さんが獅子舞役です。はっぴをうしろ前に着ているのは、後列が秀柳姐さん(白宮)、前列が路子姐さんです。おかめとひょっとこの面を前と後ろに被って演じる「にんば」という芸のための格好です。昔は、先輩の芸者さんから獅子舞をおそわったのです。私は太鼓専門で、脇差のようにバチを胴に差しています。演奏中にバチ同士があたると飛んでしまうことがあるので、予備のためです。

こんな格好でお座敷に上がると、空気がパッと楽しくにぎやかなものになりました。お客様は、ご祝儀のお札をご自分の頭や肩に乗せてくれ、それを獅子が舞いながらくわえると今年の運がよくなると言うわけです。最初の頃は五百円札の時代でしたが、途中から千円札が目立つようになったことを覚えています。中には、いじわるをして鴨居など高い所にお札を置いたり、くわえるのがむずかしいミカンなどを出されたりして、はらはらすることもありましたが、それも楽しい思い出です。当時(昭和45年頃)は、料亭の数も数十軒と多く、正月の4日間私は、獅子舞で大忙しでした。獅子舞を舞った後にお座敷が入ると、はっぴ姿のままでお酌をさせてもらい、黒の引き着とちがって気楽さを感じたことを覚えています。ところが、神楽坂も芸者衆の数が減ってくると、獅子舞で座敷に出ると黒の引き着でお酌をする人が足りなくなって困るという意見が出はじめて次第に芸者さんの獅子舞はできなくなってしまいました。今の芸者さんたちは、先輩から教わる機会がないので、残念なことに獅子舞は舞えないのです。

路子姐さんと一緒に。太鼓役の私

当時花柳界のお正月は、4日から仕事が始まりました。役所・会社の仕事始めは賀詞交換のみで、あとはそれぞれひいきの花柳界に挨拶にいらしてくださいましたので、私たちも早起きをし、午前中に支度をしていました。ところが、私たちは年末年始に楽をして身体が少々なまっていますから、何度か踊るまでは引き着姿でお辞儀するのも苦しいぐらい。その上、お正月なのでお座敷で踊る回数が多く、筋肉痛になることもしばしば。一つのお座敷で二、三曲踊るとして、お座敷の数、料亭の数を考えると何十回と踊るかわからないぐらいです。

早い時間から始まり、昼食も夕食もぬきで夜中まで働かせていただきましたので、いつもならしゃきっとしている時間なのですが、お座敷で居眠りをしてしまったり、姿が見えないので探したらコタツで寝ていたり、中には踊りながら倒れてしまう芸者さんまで続出しました。しかし、お客様はやさしくそのままにしてくださるなど、粋なはからいが多かったのです。

お座敷からお座敷へ、料亭から料亭へ、駆けまわって、踊りづくしの日々でしたが、どこかのどかで楽しい思い出が多いのが、私の20代のお正月でした。

さいとう・れいこ

昭和21(1946)年生まれ。生粋の神楽坂っ子。昭和36年にお酌でお披露目、昭和39年東京オリンピックが終わってから一本に。只今は常磐津(浄瑠璃)の語り方