第六回 未来予測図

四谷、市谷方面から外堀通りを神楽坂へ向かうと、飯田橋駅手前の右手お濠対岸に聳える巨大なビル数棟がすぐに見えてきます。これらのビルは、季節と時間により濠面を超えて神楽坂の方向に長い影を落としますが、その陰の動きは夏場の暑さ対策として有効なのでしょうか。その辺りは、当然、設計者の計算に基づいて織り込み済みであり、些末な事項かも知れません。しかし、物事は計画通りに進行しないことがあります。都市計画にしても、かつて、あのル・コルビュジェの「輝ける都市」構想がうまく行かなかったという話を聞いたことがあります。ビルの機能性や空間処理、緑化問題等、優れた建築家の計画に素人の私など立ち入ることは出来ませんが、それでも、人間の住環境における行動様式やその土地の歴史的時間、文化の厚みなどの考慮も必要なのでは…とぼんやり考えたりします。

都市デザインの計画を進めることの難しさを感じる一方、間もなく震災四年目を迎える東北の被災地の復興計画では、私でも気になることがあります。復興案が都市型であり、ハード重視の進め方に違和感があるからです。山積する諸問題を解決すべく日夜努力を続ける多くの担当者へ敬意を払いつつも、かつて人々の生活があった場所に、公園、運動場が建設されることには疑問符を付けざるを得ません。出来上がり後、もし、それら施設の利用がうまく行かないのであれば、管理・運営費用だけではなく償却費用の負担も重く圧しかかってくるのではないでしょうか。復興の先に高齢化・過疎化が見えているだけに、人々の目を絶えず引きつける施策が求められます。例えば、漁業の復興に加えて、海洋資源・エネルギーの研究開発を促すための機関の誘致なども有効になるかも知れません。

これらに関連して、かつて、高度成長時代に美術館や文化ホールが日本各地にハード主体で建設ラッシュが続き、当初の賑わいはともかく、その後の運用不振による地方経済への負担が住民に問題視されたことを思い出します。長くコンサートホールに勤めていた私には、全国ホール協会が開催するシンポジウムでの、各地方の担当職員の建設時における気分の高揚やその後の落胆ぶり等々、その記憶は鮮明に残っています。現在は、アウトソーシングを導入することで、文化施設の運用は指定管理者制度が主体になりつつありますが、私のライブエンタテインメントによる街の活性化の研究にも、以上の知識・経験が役立っていることは言うまでもありません。

神楽坂地区に関しては、建物のみならず、店舗や住人の新旧バランスが上手く取れていて、道の複雑な動きや催事に流用する意外性が街の賑わいに貢献しているように感じます。それと、街の安全性が、何より多くの人々に愛される要因でしょう。神楽坂の未来予測については私など申し上げる資格はありませんが、イベントオーガナイザーの立場からあえて数え立てれば、大久保通りの拡張のことや新旧世代交代、それとイベント内容の上質さを保つことなどが気になるところです。とは言いつつも、現在は隣町に住んでいて神楽坂をやや離れた位置から眺めておりますが、神楽坂界隈の魅力はいささかも衰えることはないように思いますし、時々は訪れて一杯飲りたい気持ちにも変わりはありません。(了)

うすざわ・ゆうじ

1948(昭和23)年岩手県大槌町生まれ。銀座・ヤマハホールを退職後、ギター演奏、作曲、イベントオーガナイザーの他、音楽評論、文筆、郷土芸能研究、仏像蘊蓄士、日本楽壇将棋連盟常任理事、ウスザワユージアム館長(北軽井沢)。