第十四回 英語新内 東海岸とハワイ四島

私が人間国宝に認定されてから、都内をはじめ地方でも祝賀会が開かれ、その上新内演奏も多くあり多忙を極め、ついにその年の十月に過労の為にダウンしてしまった。

又その年に神楽坂商店街振興組合の名誉組合人の称号を授与されたのでした。現在まで商店街の振興のお役に余り立っていないので、常々心苦しく感じている次第です。

でも日本各地や、世界各国へ演奏に出かけ折には、必ずトークの中や自己紹介では神楽坂の事を話題にして、多少なりとも宣伝をして役目を果たしている積りではいます。

その病後に無理をおして世界各国周りが始まった。

公演の殆どが八王子車人形と一緒で、新内を聞いて見せる分かり易い楽しい舞台ではあったが危険な旅であった。

先ず最初がサイパン島であった。島内や他の島の高校生相手の公演で、日本語のみの舞台であったので彼らには難しかったかも知れない。太平洋戦争での激戦地で多くの犠牲者が出た場所であったが、地元の人達とも高校生達とも親しく交流を深めて来た。ただバンザイクリフへ行った時は激しく心が痛み辛かったが全員で手を合わせた。

私達の年代ではサイパンへ観光で気楽に来る所ではないと感じたものだ。演奏して早々に帰国した。

その年の夏には私の体調がまだまだ充分に回復せず、とても海外遠征は無理な状態であったが、、以前から決まっていた仕事であるので止むなくアメリカへ行く事となった。

車人形と一緒の旅であるが、私の体に自信がなく新内を語れない時もあろうかと思い、万が一に備えて同演目を吹き込んだテープを持参した。

初めの地のシアトルでは早速にそのテープの出番が来た。

開演前になった楽屋で、長旅の疲れから血圧が高くなり目まいがして来て、とても語れる状態ではなかった。

前日のシアトル・マリナーズの野球観戦が悪かったのかな。

同行のお弟子さんで、伊勢笑の知人のマリナーズのオーナーからイチローの試合に招待された。試合途中にバックボードにWELCOME・WAKASANOJOと掲示され嬉しくなってはしゃいだ所為かも知れないと反省した。

その後にテキサス州のサンアントニオ市に行ったのだがそこでは尚更体調が悪く、倒れて入院するかもと思った。

この街はメキシコに近く、スペイン語が主流である。劇場は忘れたが此処ではどうにか語る事が可能であった。今回も主な演目は車人形新内の「弥次喜多」の赤坂並木の段でチャリ物(喜劇)だが、まだ英語新内を少し挿入しただけなので、観客がどの程度理解出来たかは疑問だ。

ただ人形の動きが大変に面白いので、笑いは随所に起こったのでまあ大体の内容は伝わったようである。そして徐々に英語のセリフを増やしてアメリカバージョンにした。

本土を離れてハワイ諸島へ移動して行ったのであるが、やはり身体の調子が良くないので四島公演できるのか不安であった。果たせるかなオアフ島はどうにか語れたが、ハワイ島、カウアイ島、マウイ島は全て私はキャンセル、録音テープで車人形を操る事となった。お客さんはそれでも文句も出ず、満足したらしいので幾分私はがっかりした。

レストランの選択が悪かった為か、この公演では美味しい料理に出会わず失望。体調を整えて十年後に訪問した。

元気な時は良いが、海外公演は楽じゃァないですなァ。

つるが・わかさのじょう

昭和13年神楽坂生まれ。平成12年新内の始祖である鶴賀若狭掾の名を襲名。新内協会理事長。翌13年重要無形文化財保持者(人間国宝)。世界40カ国60都市を訪問。新宿区名誉区民。

神楽坂交響楽“談”アーカーブ

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