第十九回 パリの空の下、新内は流れる 

前回の渡仏から半年後の十一月に、公演本番のため八名でパリに入った。今度は中型バスの出迎えで何の心配もなく市内に到着した。新内三名、日舞一名、八王子車人形二名、照明一名、随行一名の計八名は、そのままパリ日本文化会館へ直行した。随行のステファニー(伊勢笑)は下見にも同行したが、私の海外公演には度々同行していて、通訳や舞台スタッフの一員でもあり、私の付き人として、何かと世話になり本当に助けて頂いている有り難いお弟子さんである。そして何時も自費参加である。日本人より日本人的の処がある米国人だ。

日本文化会館はセーヌ川沿いのエッフェル塔の近くにあり、ホテルも会場の近くで何かと便利である。パリのホテルは狭いくせに高くて、三星でも日本のビジネスホテルよりお粗末である。トイレのウオシュレットもエレベーターも快適とは云えない。カフェテリアは大方美味しくない。パリ在住の日本人も食べ物は正直感心しないと言っている。高級レストランは多分美味しいとは思うが…。悪口ばかり書いているようで、神楽坂在住のフランスの方にお叱りを受けそうだが、もちろんそれが全てではない。世界中が憧れる芸術の都、花のパリである事には間違いない。

公演は翌日の午後八時開演。朝から仕込みとリハーサルで大忙し。スタッフは一人。大勢連れて来る余裕がない。

さあ本番を迎える。今回は新内浄瑠璃が主体の公演である。パリっ子に受け入れられるか、理解されるか、そしてお客が何人来るのか…と案じつつ幕が開いた。竹内館長の丁寧で行き届いた解説で始まる。続いて私の「蘭蝶」。場内は暗いが上まで見えた。殆ど満席であり安堵した。

二曲目は新内舞踊「広重八景」。鶴賀伊勢吉の語り。花柳貴比さんは衣裳も鬘も化粧も全て自分でやる。流石に衣裳の着付けを女性二人が手伝っていた。

三曲目は私の新内「一の谷嫩軍記」組討ちの段。上が素浄瑠璃、下は車人形が熊谷次郎と玉織姫を演じる。車人形の遣い方や動きが巧妙で珍しいのが受けたようだった。

最終演目が終わった。大きな拍手がきて、カーテンはないがカーテンコールの拍手はきたのであった。

海外公演では殆どカーテンコールがある。然し今回は特に感動した。パリの空の下、セーヌ河畔に新内は流れた。嬉しかった。二回の公演ともに観客に受けたのであった。ロビーでの打ち上げレセプションでもいい感触であった。

二回とも観客の八割はフランス人だった。どのような反応であったのかと心配したが、好反響であったと帰国後に聞いた。ただ惜しむらくはフランス語のテロップを出さなかったことが残念であった。観客にも指摘されたようで反省材料である。二日目に楽屋へ差し入れてくれた、竹内館長のおにぎりと沢庵が最高であった。栄養失調気味の私はこれで生き返った。やはり日本食は最高だ。

丁度この時期、グラン・パレ国立ギャラリーで葛飾北斎展が開催中で、会場は長蛇の列で大人気。パリは日本ブームである。流石に世界の北斎であると誇りに感じた。

二日目の公演後、パリの日本大使館で打ち上げ会を開いて頂いた。八名全員と日本から応援に駆けつけて下さった十数名の方々も含めて、美味しい日本料理とワインをご馳走になった。遅い時間であったが大使閣下夫妻のご厚意に全員が感謝感激であった。翌日は「ルレーシャトー」の国際大会が日本大使館であり、五〇数カ国の人が集まった。そこでも新内舞踊を披露演奏して喜ばれた。

つるが・わかさのじょう

昭和13年神楽坂生まれ。平成12年新内の始祖である鶴賀若狭掾の名を襲名。新内協会理事長。翌13年重要無形文化財保持者(人間国宝)。世界40カ国60都市を訪問。新宿区名誉区民。

神楽坂交響楽“談”アーカーブ

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