第十七回 アヴィニヨン演劇祭参加 Ⅱ

前号のフランス公演の話は、三〇年以上前であった。当時は神楽坂の母の店「喜久家」が営業中で、母が現在の私と同年代であり、流行る店を達者に切り盛りしていた。

私も新内活動の傍ら買い出しや、包丁を握っていた。その開業中に一月半も、店や幼い子供を置いて海外公演に出たとは、今思えば母に迷惑を掛けたと申し訳ない事をしたが、然し楽しく得難い体験と観光をさせてもらった。

モンペリエ音楽祭からアヴィニヨン演劇祭まで、十日間程仕事はなく、その間を利用してドイツ・スイス・イタリアを廻った。トーマスクック(ヨーロッパ列車時刻表)を持って、アヴィニヨンからパリへ出て国際列車に乗り込む。ボンに友人を訪ねてから、スイスへ行きツエルマットで一泊。快晴のマッテーホーンへ登山電車で登る。下山しイタリアのミラノへ。帰路は地中海沿岸を列車は走り、カンヌで途中下車し一泊して戻ってきた。ホテルは予約なしの勝手気侭な旅をした。行く先々で楽しい出来事があった。

周遊してアヴィニヨンに戻ったが皆さん心配していた。

ここの演劇祭は世界各地から招かれた集団で、期間中は大変な賑わい。町中がお祭り騒ぎで実に楽しいが、他国との交流は皆無であった。我々新内組の宿泊場所は、街から離れた閑静な新興住宅地で庭付きの一軒家をあてがわれた。

四人で自炊の寝泊まりであったが、近所の子供達と大変に親しくなり実に楽しい滞在であった。あの時の可愛い子供達は現在どうしているかなア……と時々思い出し懐かしい。小さな子供と大きな親善外交の交流をしたと思っている。

アヴィニヨンはローマ帝国時代から多くの変遷を経て来た宗教都市である。「橋の上で輪になって踊ろう」の童謡で知られるが、その橋は半分以上崩壊している。現在は歴史地区として世界遺産に登録されている素敵な街だ。

その石作りの館の中でのパフォーマンスであった。

昔の建物の内部で殺風景で無機質な感じの壁面であるが、気の所為か歴史の闇と重みの中に人の気配を感じる。

夜更けにはとても一人では居る事が出来ないと思った。

七月でもヒンヤリとして、夜の公演であるから涼しいより肌寒い。石室の中は音の響きは良く、特に楽器の共鳴は素晴らしいが、人の歌声は楽器に幾分負けてしまう。

邦楽はそれほど音量の大きくない三味線の伴奏で歌う(語る)音楽である。特に新内は大胆で繊細な浄瑠璃であり、三味線も一音一音を大事に美しく弾く音楽でもある。両者が一体となって曲を創り上げる。泣き笑い怒り哀しみを高く低く強く優しく嫋嫋と訴える浄瑠璃なので、共鳴がかかり過ぎては内容がより細やかに伝わらない。かと言って野外の広い野原や運動場でも心理描写は叶わないが……。

アヴィニヨンの会場は雰囲気が最高で気分良く語れた。

当演劇祭は世界中から集まる演劇集団と観客二〇〇名程の会場で観客は全員が外国人。現在ほど情報網が発達していないので果たして日本の古典芸能はどのように理解するかと案じた。新内流しの三味線が喜ばれるかなと予想していたが、語る声に感動したのか驚いたのか、その時の新聞の評にファンタジックと書いてあった。

これって喜んで良いのかどうか今でも疑問なのだが……。

つるが・わかさのじょう

昭和13年神楽坂生まれ。平成12年新内の始祖である鶴賀若狭掾の名を襲名。新内協会理事長。翌13年重要無形文化財保持者(人間国宝)。世界40カ国60都市を訪問。新宿区名誉区民。

神楽坂交響楽“談”アーカーブ

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