第二十四回 東北大震災直後のポーランド公演

あけましておめでとうございます。酉年の幕明けです。

地震国日本。昨年も熊本地震があり甚大な被害を受け、復興もままなりません。また東北大震災から早くも六年が経過しようとしています。

悲しみは突然にやって来る。天災は忘れた頃にやって来る。いや日本人は忘れてはいません。日本は災害の国です。毎年毎年、地震や台風水害と火山爆発が各地で起きて大きな被害を被っているのです。

しかし東北地震は余りにも大き過ぎて想定外であり、人間の予想をはるかに超えた天災でした。その日本中が騒然としている最中、翌々日の十三日に、私は前年から企画されていた在ポーランド日本大使館主催のショパン生誕二〇〇年記念事業公演のためにポーランドへ飛び立ったのでした。

歳月は流れたがその時の公演と事件について簡単に記したいと思う。

その日、複雑な思いで成田空港に向かい、前日は欠航しこの日も飛ばないかもと予測したが、フィンランド航空は予定通りの出航であった。日本も心配、残す家族も案じられる。しかしポーランド公演の2か所ともチケットはソールドアウトでもあり、芸人として日本人としてキャンセルは出来ない…そんな思いを胸に、一行八名が日本をあとにしてワルシャワへ到着。余程の厳寒と思っていたが、それ程ではなくひと先ずホットした。

明くる日、会場にて現地のスタッフと出演者全員で舞台の照明や音響や大道具の仕込み、そしてリハーサルにかかる段取りになった昼食後、日本大使館から公使が沈痛な面持ちで入って来た。公演中止の命令の知らせで来たのであった。外務省通達で世界中の日本大使館の文化行事は当分(期限なし)中止と決定との事。ここまで来て何故…ショックと落胆の八名。

本番のあるはずの十五日は浮いた気持にもなれずにショパンの街を少し観光する事にした。ワルシャワは第二次世界大戦でドイツ軍に徹底的に跡形もなく破壊された都市であった。ちょうどこの度の大津波によって壊滅状態になった太平洋沿岸の街と同じ状態だ。それが市民達の大いなる努力によって残った図面や写真と人々の記憶によって少しずつ復興し、煉瓦のヒビに至るまで忠実に以前の街並みに復元されたのである。そして今でも修復工事が続いている。力強い市民の精神力と情熱と祖国愛のエネルギーに感動しながらも、被災した東北地方の復興を願った。

このワルシャワ公演は中止を余儀なくされたが、クラコフは催行するとの決定の知らせが入り、明朝勇んで汽車での移動となる。クラコフはワルシャワから南へ約三〇〇km、十七世紀初頭までポーランドの首都であった。第2次世界大戦の時も破壊されることなく、国で最古の都市である。ここは十四世紀頃からユダヤ人の難民を受け入れてきた為ユダヤ人が多く自由に住む事も認められ、自身で行政の自治権も与えられていた。ホテルへ入ってからすぐ車でドイツ軍の強制収容所のアウシュビッツ博物館へ。ぜひ見学をしたいとお願いをしていた場所であった。ユダヤ人大虐殺の収容所の跡を見た感想はここでは省くことにする。

クラコフ市でも日本の大災害はもちろん大きく連日報道され、我々の訪問も新聞やテレビ等のマスコミで取り上げられ、私もインタビューを受けた。その効果で会場は、入場者が殺到して大入り満員となった。会場は「日本美術技術博物館マンガ」である。ここは著名なコレクターが集めた日本美術品を7000点以上収集されてあり、主に葛飾北斎の浮世絵が数多くある。マンガとは北斎の浮世漫画絵からとった名前である。ここでの公演に際しては忘れ得ぬ感動的な出来事がいくつか起こった。それはもちろん、日本の大震災に関連する出来事であり、次回に掲載。

つるが・わかさのじょう

昭和13年神楽坂生まれ。平成12年新内の始祖である鶴賀若狭掾の名を襲名。新内協会理事長。翌13年重要無形文化財保持者(人間国宝)。世界40カ国60都市を訪問。新宿区名誉区民。