第二十七話 邦楽界初の「天覧演奏会」後記2

演奏に際し舞台と客席との高低の位置関係が私は気になった。

狭い会場であり、特別席もなく一般の席と同じである。舞台上の私の高さが客席の両陛下のお席より上では失礼と思った。そこで山台の高さを低くして、私の目線が両陛下の足元辺に行くようにご配慮して二曲を無事演奏した。

終演後、演奏者一同が両陛下との懇談に招かれて「御休所」へむかう。ドアを開けると両陛下が御立ちになって待っていらっしゃった。私が先頭に立ち、おずおずと入り両陛下に御礼の御挨拶を申し上げてから出演者を紹介させていただく。その後、天皇陛下と皇后陛下が別々に我々一人一人に優しくお言葉をおかけ下さる。

我々一同は皆上気して赤い顔をしていた。私は何を申し上げたかよく覚えていない。舞台は緊張はしたが上がることはなかったのに、この場は少々固くなり上がっていた。洋楽はお聞きになっていらっしゃるが、邦楽の個人の演奏会は初めての御事とてどのようにお聞き遊ばしたかと案じてはいたが、両陛下お二人が新内を理解していただいた御様子であったのは有難いことこの上なしと感謝。そして邦楽のために尽くすようにとも言われた。畏れ多くも光栄この上無いことと感激に堪えない。当日、私の舞台の前に女性達による演奏があった。その演奏はお聞きなされなかったが、出演女性達にかなり長いこと皇后様が色々とお話をなされていたのが印象的であった。

二度とあり得ない(かもしれない)尊い栄誉ある体験であったと全員が感激したひとときを持った。懇談の時間が予定をかなりオーバーし、侍従に促されて両陛下が御退室あそばした。全員両陛下の後姿を拝むようにお見送りした。肌襦袢がびっしょりと濡れていた。

この演奏会開催に当たり心配懸念し、心に念じたことがいくつかあった。先ず天変地異や大きな事件が起きないように、また両陛下が当日お体の調子をお崩しなさらないようにと願った。

次に私自身どうぞ体調万全で当日に臨めますようにと願い、事故と風邪に最大限の注意をはらった。そして当日は恙無く滞りなく平穏に会を催行し、両陛下が楽しんで無事皇居に御戻り遊ばしますように毎日真剣に願った。結果、願いどおりに神の御守護を賜り、素晴らしい演奏会を開催出来得たことに心から安堵した。その喜びに浸っている毎日であったが、さあこれからが新内の新たな出発だ、正念場だと心引き締めてもいる毎日でもあった。これは私一人の自慢では決してない。新内界のみの喜びでもなく、大きくは邦楽界の慶事でもある。単なる瞬時のお祭りごとで終わらしてはならぬ。

新内の伝承継承の危機を切に訴えてこそ両陛下のお出ましの実現を得たのであるから、この天覧演奏会を契機に新内の発展普及伝承に我々新内人がこぞって邁進努力しなければと決意する。自己のライフワークに張りと弾みがついた。

蒔いた種が芽を出し実った。そして「新しい種」が蒔かれた。両陛下お手植えの種である。育つも枯れるも我々次第。大事に大きく立派に強く育てなければ申し訳ない。一期一会の大いなる意義を実感した演奏会であった。いま思えば大変な世紀の演奏会であったと述懐する。総てに幸運であったと、私の運の強さに感謝せざるを得ない生涯の大イベントであった。

つるが・わかさのじょう

昭和13年神楽坂生まれ。平成12年新内の始祖である鶴賀若狭掾の名を襲名。新内協会理事長。翌13年重要無形文化財保持者(人間国宝)。世界40カ国60都市を訪問。新宿区名誉区民。

神楽坂交響楽“談”アーカーブ

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