第七話 山田五十鈴先生・尾上松緑先生との想い出 1

どなたの紹介だか全く記憶にないが、東宝の製作部から榎本滋民先生の芝居に出ないかとの電話が入った。

「榎本滋民作・演出で山田五十鈴さんの絵巻シリーズで、帝国劇場の4月公演です」との事であった。

近世の映画演劇を含めての最高な大女優・女役者は山田五十鈴さんであると当時も現在も私は確信している。

その山田さんの舞台に新内の「出語り」での出演要請であった。「出語り」とは舞台上に設けた床台の上で観客に見せて演奏をする事である。歌舞伎ではごく当たり前だが、帝国劇場では昭和に入ってから初めての事であった。

四十歳少々の自分は驚いたり興奮したり夢かとも思った。この頃の榎本先生は絶好調の油の乗り切った時代である。

新派、新国劇、歌舞伎そして東宝の舞台に作・演出家として八面六臂の活躍をされていた。江戸文学や演劇に深く精通されて又落語の研究者でもあり、古典芸能にも造詣が深かった。先生は若い頃は後楽園の日教販に勤めていた。当時《喜久家》へはこの会社の社員が大勢飲みにきていたので、先生も良く一緒に来たらしく、それも私との縁であったと思われる。(榎本先生の想い出は次回に回す。)

先生は当時山田五十鈴さん主演の人気芝居で日本美女絵巻シリーズを書いていた。その三作目の上演が「逢坂屋花鳥」と云う演目で中村富十郎さんが相手役であった。

劇中に榎本先生の作詞した歌詞に私が新内の作曲をしたのであるが、新曲でも古典のような作曲でとの要望でした。

顔合わせから連日のお稽古が続き、2大役者との舞台であるので、怖いもの知らずの若者であったが、やはりかなりの緊張と興奮があった事を今でも覚えている。

どうにか歴史的な帝劇ひと月公演を無事に勤め上げた。

この芝居の新内の演奏場面は、文楽のように全篇を義太夫節が語るのとも違い、また歌舞伎の出語りのような使われ方でもなかった。随所々々に情景描写と主役の心理葛藤を分かり易く入れ込んだ演奏で、その上演奏場所も凝った作りで榎本先生の最も得意とする演出方法である。

この手の芝居に出演するのは新内の宣伝効果抜群で有り難かった。この芝居以後は山田五十鈴さんとは大変懇意になり、その後もちょくちょく楽屋見舞いに伺ったりした。

その後これが縁となったのか、東京宝塚劇場で川口松太郎作の当たり狂言「鶴八鶴次郎」の新内のお手伝いをする事となる。演出はやはり新内好きの戌井市郎先生であった。劇中の新内の三味線弾き「鶴八」の役は山田五十鈴さん、新内の太夫「鶴次郎」役は尾上松緑さんであった。この芝居は新内がモチーフであるから、随所に新内が出てきて、お二人も劇中で実際に新内演奏をなさった。

その新内の指導を私が担当する事となったのである。

山田さんは三味線が達者に弾けるので少しも心配はない様子でした。松緑さんも歌舞伎の役者さんですし、藤間流の家元ですので、邦楽は勿論お手の物で得意とするところですが、歌舞伎と新内は縁が薄く、余り馴染みがないので不安げした。劇中で語るのは「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)・雪責め」でしたが、流石に大役者のお二人は立派に演奏したものです。

歌舞伎大看板役者と女役者の出会いは最高の幸せでした。

この続きは次号で。

つるが・わかさのじょう

昭和13年神楽坂生まれ。平成12年新内の始祖である鶴賀若狭掾の名を襲名。新内協会理事長。翌13年重要無形文化財保持者(人間国宝)。世界40カ国60都市を訪問。新宿区名誉区民。

神楽坂交響楽“談”アーカーブ

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