第十四回 私のアルバムの中の神楽坂・その八

昭和二十七年頃のことです。神楽坂三丁目の龍公亭の向かい側に「福島ピアノ」というピアノ屋さんがありました。私も三歳のころから母に言われるままピアノを習いに行っていました。ピアノの練習はあまり好きではありませんでしたから、それからずっと、高校生になるまで続けていろんな先生に習っていたにもかかわらず、ちっとも上手になりませんでした。今でもベートーベンの『エリーゼの為に』を弾くのがやっとです。手が小さく指も短いから、アメリカで簡単に取得してしまった車の運転免許と同じく、できるけれども適性がないと自分で納得しているので、ピアノは自分で弾くよりは聞くほうが好きですし、車は運転するよりも乗せてもらうほうがずっと好きです。

ところで写真の話ですが、靴を履いているのが私、草履を履いているのが、私と同い年で若宮町に住んでいた〝ふーちゃん〟です。『春よ来い早く来い……赤い鼻緒のじょじょはいて……』という歌が流行った時代です。じょじょとは草履の幼児語だそうです。一方で、『赤い靴履いてた女の子……異人さんに連れられて行っちゃった……』という歌もありましたが、戦後の復興期といえどもよくこんなハイカラな格好をさせてくれたものだと、母の私にかける情熱に、あらためて感激するところです。

福島ピアノの店の中には、黒いアップライトのピアノが何台も並んでいました。福島さんのお嬢さんが、店の奥の方のピアノで私に『バイエル』を使ってレッスンしてくださったのをかすかに覚えています。

当時の神楽坂は、車も少ないし、街頭に流れる音楽もなかったのですが、音の世界でいうと、竿竹やさんの「たけや~さおだけ~」という声や豆腐やさんの「とうふ~ぃ」という掛け声、キセルを掃除したり修理したりするラオやさんの「ピー」という音がないまぜになって、幼い頃の私の記憶をよみがえらせてくれます。
仲良しだった〝ふーちゃん〟は、大人になって神楽坂から引っ越してしまいましたが、私は結婚してからも神楽坂に住み、家業を継いでいます。そして福島ピアノさんは、そのまま〝ジョンブル〟というコーヒー屋さんに貸し出され、その後、現在のロイヤルホストのあたりの地上げにも抵抗して残り、最近持ち主が福島さんから他の人に変わったにもかかわらず取り壊されることなく居酒屋さんになっています。ということは、この写真の時の建物が外観を残してそのまま建っているということです。

福島ピアノ店の前のふーちゃんと私

他にも神楽坂には、いくつか戦後間もない昭和二十二年頃建てられた建物が残っています。表通りでは、三丁目の太陽堂せともの店さん、坂上の河合陶器店さん、山下漆器店さんの建物がありますし、坂下の元大沼医院(現ヒグチ薬局)の建物などがあります。いずれも、表の顔は変えても建物は当時のままです。
なかでも、うちの前のこの木造二階建ての建物を見るたびに、この写真のころの原風景と重なって不思議な幻想が浮かび上がってくるのは、ここで生まれ、ここで育ち、ここで生きてきた私の宿命ともいえます。
福島ピアノの美しいお嬢さんの姿や声、ドアを開けると店からもれるピアノの音、友達の笑い声、父や母が私を呼ぶ声。そして、奥に潜んでいた怪しげな調律師のおじさんの影法師などが私の脳裏に見え隠れするのです。

いいだ きみこ

昭和24年6月26日、神楽坂生まれ。幼稚園から高校まで白百合学園で学び、白百合女子大学ではフランス文学を専攻。平成11年12月より(有)龍公亭代表取締役。