第十八回 私のアルバムの中の神楽坂・その十二

なつかしい神楽坂の“よき時代”のふんいきをお伝えしたくて、アルバムの中からえらんだ最後の一枚をご紹介します。『かぐらむら』六二号にも登場した木村屋パン屋のケンちゃんと私です。撮影場所は今でいう芸者新道の中ほどです。ここは十年くらい前まで「露木」という看板がかかっていて、六年前に亡くなられた元芸者の富士子さんが料理屋をいとなんでいたところです。

富士子さんは本名を佐々木一子さんといいますがご自分のことを「つゆき」と言っていましたし、私たちも「つゆきさん」と呼んでいました。夏は浴衣、冬は着物の生地で作った簡単着を着ていて、サンダルをつっかけ、楕円形の檜の湯桶を持って夕方になると「龍公亭」か「丸屋」という日本蕎麦屋さんへふらりとあらわれ、ひとしきりおしゃべりをしながらそばを食べ、それから熱海湯の前の八百屋さんを冷やかしながらお湯に行ってまたおしゃべりするのが日課でした。つゆきさんは粋で、とてもきっぷのいい方でした。その方が村松友視さんの評伝『極上の流転―堀文子への旅』にも登場するとおり、画家の堀文子さんがまだ無名だったころからの六十年来の友人だったというのですから驚きです。

話は写真の昔に戻りますが、ここは神楽坂から木村屋の横を入って右へ折れたあたりで、「露木」の手前には「永楽」、向かいには「金田」という料亭さんがあったようです。

当時はただ無邪気に遊んでいたばかりでしたが、今こうして写真を見ると、人の背よりも高い塀に囲まれた世界があったのですね。塀の向こうから覗く木々から料亭さんの立派な庭の様子を想像することができます。

祭りの日のケンちゃんと私・そして母

木村屋さんは龍公亭より上の方のはす向かいにありました。今は、一、二階を珈琲店に貸していますが、ついこの数年前までは、「木村屋」の大きな木の看板の下で立派なパン屋さんを営業していました。なにしろケンちゃんのお父様は銀座の木村屋総本店の直系の親族に当たるそうで、当然のように風格のあるお店でした。

神楽坂の老舗といえば、他にも「万長」という酒屋さん、「伊勢屋」という乾物屋さん、「美濃屋」という足袋屋さん「加藤」という荒物屋さん、「尾澤薬局」、「山本薬局」、レストラン「田原屋」、和菓子の「塩瀬」などがありました。

いずれも戦前からあった店です。他にも「パウワウ」という喫茶店、「清水衣裳店」「岡田印房」などが近年次々とすがたを消しました。本多横町には、私が大好きだった煮こごりやおでんだねを売っていた「遠政」という総菜屋さんや、おいしい海老天丼を出す「海老屋」というおそばやさんがありましたが、その味は忘れられません。

料亭さんも「松ヶ枝」「㐂久川」「金升」「㐂久月」といったところが、近年まで神楽坂の花柳界を賑わしてきました。今は「千月」「牧」「幸本」「魚徳」が盛業中です。芸者さんも二十人ほど、地方の芸達者なベテランから若くてきれいな踊りの名手まで揃っています。

確かに時代は流れ、創業百年を過ぎる「老舗」と呼ばれる店も少なくなっていますが、「龍公亭」はその名に恥じないように、今まで同様お客様との信頼関係を大事にしていきたいと思っております。私も、時の流れに逆らわず、『百歳は折り返し点』という本にもなった物集高量さんのようにひょうひょうと、しかし、夢を持ちつづけて生きていきたいと思います。三年もの長きにわたってご愛読くださった皆様に感謝申し上げます。(了)

いいだ きみこ

昭和24年6月26日、神楽坂生まれ。幼稚園から高校まで白百合学園で学び、白百合女子大学ではフランス文学を専攻。平成11年12月より(有)龍公亭代表取締役。