第十三話 私のアルバムの中の神楽坂・その七

神楽坂のそれぞれの鎮守様の祭りは、決まって秋のはじめ、九月半ばにとり行われます。

昭和三十五、六年ごろの写真を見ると、子供たちがこぞって参加している様子がわかります。他にこれといったエキサイティングなことがない時代ですから、子供たちにとってお祭りは一大イベント、心うきうきする自分たちが主役になれる晴れの舞台なんです。

三丁目の町会の役員をしていた父は揃いの浴衣を着て、頭には豆絞りの鉢巻きを締め、白足袋に雪駄(せった)で子供神輿(みこし)の先頭を歩いています。娘が参加しているせいかその表情はとってもうれしそう。宮坂金物店のおじさんは、いなせにそでをまくりあげて神輿の舵をとっています。私のおぼろげな記憶をたどっていくと、ここは料亭・松ヶ枝さんの前あたりだと思います。男の子が神輿をかつげば、女の子たちや幼児は山車(だし)を引くのです。紅白の長い紐を手にもってゆっくりと行進します。山車の上の太鼓をたたく子もいましたが、当時の私は恥ずかしくてなかなかたたけませんでした。

町会ごとに別の場所に神酒所(みきしょ)を設け、神輿もそれぞれの町会が管理していましたが、三丁目は料亭さんが多かったせいか、普段は料亭さんのお客様専用の駐車場の一角を借りて神酒所を設けていました。一昨年まではずっとそうでした。

私たちは“三業の駐車場”と呼ばれていたその場所を出発して、若宮八幡で一休み。ジュースなどをいただいて三丁目をぐるっとひとまわりし、また出発点の神酒所に戻ってお菓子の袋詰めをいただいて解散です。たった二、三十分のことですがそのうれしかったこと、今でも忘れません。女の子はおかっぱさんが多かったです。サザエさんの漫画に出てくるワカメちゃんみたいに。私の前髪もパッツンですね。写真の中に子供の付き添いをするお手伝いさんらしい人が写っているので思い出したことがあります。当時、わが家にも「おますさん」という初老の住み込みのお手伝いさんがいました。店のうらにあった十五坪の二階建ての小さな家で、親子三人しかいないのにお手伝いさんがいたのです。台所の隣に3畳間があって、そこに寝泊まりしていました。中華料理屋の娘なのに、私が純日本の家庭料理が好きなのはおますさんの手料理を食べて育ったおかげです。おますさんはお赤飯やおはぎも得意でした。いったいいつ作るのかしらと不思議な気がしましたが、何かの記念日には、朝になると必ず食堂のテーブルの上におはぎやお赤飯が載っているのです。もちろんこの祭りの日にもお赤飯が載っていたにちがいありません。あやめ寿司の時代からうちに奉公して、私が結婚するまでいてくれたおますさんは、昔ながらのお手伝いさんでした。地方から出てきて家族の一員のように暮らすお手伝いさんがいなくなると同時に、核家族化が進んでいき、人と人との交流も希薄になっていくようでさみしい気がします。お祭りで太鼓をたたくバチを奪い合う腕白坊主の姿を、今になってなぜか懐かしく思い出すのは私だけでしょうか?

いいだ きみこ

昭和24年6月26日、神楽坂生まれ。幼稚園から高校まで白百合学園で学び、白百合女子大学ではフランス文学を専攻。平成11年12月より(有)龍公亭代表取締役。