第十三回 私のアルバムの中の神楽坂・その六

オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』を観て感激した父は、さっそくうちでもソフトクリームを売り出すことにしました。

大きな看板を作って店の前に置きました。昔、映画の看板といえばペンキで映画のワンシーンを描いたものがほとんどでしたが、そのカンバン屋さんに頼んでイラストをおこし、わざわざ写真のような木でできた立て看板を作ってもらったそうです。

そのアイディアは画期的なものでした。ソフトクリームマシンは、誰よりも早く、ドイツ製のものを大枚をはたいて買いこみました。当時の日本には、機械といえばドイツ製が一番という信仰がありました。この年、ローマのスペイン広場の階段でオードリーがソフトクリームを食べるその有名なシーンから、ソフトクリームが大流行したのです。写真こそ残っていませんが、店頭には映画の看板そのもののそのシーンのペンキ絵も飾ったと、父はうれしそうに語っていました。おかげでソフトクリームは飛ぶように売れたそうです。

昭和20年代後半、龍公亭の店頭にあった看板と筆者

私もなにか得意げな顔をして、ソフトクリームの看板と一緒に写真におさまっています。

後ろの柱には、ちょっと見にくいのですが、「○○撮影会指定店舗」というポスターが貼ってありますから、神楽坂通りでカメラの撮影会があったのでしょう。

素人写真にしてはよく写っているので、もしかしたら、店頭に立っている私を、プロに近いカメラマンが撮ったのかもしれません。写真の裏には五歳と書いてありますから昭和二九年(一九五四年)のことです。『ローマの休日』は一九五三年の作品ですからなにもかもピッタリです。

このときに、「ミス・コロンビア」を龍公亭の店内で撮った写真があります。店内の様子がわかる貴重な記録です。『助六』さんにも同じローズさんがモデルの『助六』店内の写真がありますから、やはりこの時の撮影会で撮ったものということが明らかです。

私のアルバムに残っている彼女の数枚の写真の裏には題名・撮影者の住所・氏名・日時・場所・カメラ・絞り・フィルム名等が書かれています。しかも、一枚一枚撮影者が違うのです。それを見る限りプロではないけれど、相当なカメラマニアであると確信します。

「ミス・コロンビア」の松原操さん。撮影:河端治右(1957年)

父のヘップバーンにかける情熱はいつまでも冷めやらず、ソフトクリームはその後もしばらく続けられました。

初代は『あづきアイス』(氷あずき)で名を売り、二代目がソフトクリームで時代を先駆けたとしても決して不思議ではありません。むしろ当然の成り行きと言えるのではないでしょうか。ただし、ソフトクリームは衛生を保つのが大変だということで、神経質な父は、店を建て直す際にきっぱりと止めてしまったのです。

今は四代目の竜一がフローズン生ビールを扱っていますが、その氷の泡を見るたびに、ソフトクリームを思い出すのです。泡がまるでソフトクリームみたいではありませんか。

いいだ きみこ

昭和24年6月26日、神楽坂生まれ。幼稚園から高校まで白百合学園で学び、白百合女子大学ではフランス文学を専攻。平成11年12月より(有)龍公亭代表取締役。