第十七回 私のアルバムの中の神楽坂・その十一

先日高校の同窓会が都内のホテルでありました。卒業後五十年近くたっているのに、会えば一瞬で気分は学生時代にもどって、楽しくワイワイおしゃべりしました。

私が通っていたのは九段の白百合学園です。幼稚園から高校まで十三年間、神楽坂の家から九段まで、黙々と通いました。小児ぜんそくで体の弱かった私を案じて、とにかく歩いて通えるところということで両親が選んだのが白百合だったのです。私が小学校を終わるころまで土曜日もお休みだったので、金曜の夜熱を出してもなんとか月曜には元気になって、通うことができました。

神楽坂を降りて坂下の交差点をわたり、ボート屋さんの脇を通って飯田橋の駅舎を左手に見ながら、交番のところで右に曲がります。あとは土手沿いに進むのですが、当時は土手の上を歩いてよかったので、四季折々の自然を味わうことができました。土手の両脇には、春になるとシロツメクサやクローバー、ペンペン草やハルジオン、スミレにタンポポ等がいっぱいでした。頭の上には桜が満開だったはずなのに、なぜか足元の草花に心を奪われていたらしく、桜の記憶が今よりも鮮明ではありません。

自宅前、小学校一年生の私

ランドセルを背負って外堀に沿って続く土手の上を歩いて学校に通う私に、神楽坂上の自宅の二階から手を振っている母の姿が見えたくらい、その頃は視界を遮る高い建物がありませんでした。上の写真は小学校一年生の時、自宅の前で撮った写真です。リボンは学校につけていってはいけないのですが、記念写真なのでリボン好きの母が特別につけたものです。

白百合学園のバザーで、マスールと

上の写真は幼稚園に入る前、学校見学のためにバザーに行った時の写真です。風船のほかにこれといった華やかなものは見えないのですが、こんな風船が当時はめずらしく、まるでおとぎの世界に来たような心躍る気持ちになったことを覚えています。中央に見えるのがマスールと呼んでいた修道女の先生です。

NHKの連続テレビドラマ『花子とアン』の花子が通っていた学校は東洋英和でしたが、私の通っていた白百合はもと、仏英和と呼ばれていました。フランスのシャルトル聖パウロ修道女会が経営する学校だったからです。そして私が高校を卒業するくらいまでマスールたちはこのように白い布を糊でパリッとさせて仕上げた蝶々のようなベールをかぶっていらっしゃいました。そしてもちろん挨拶は「マスールごきげんよう」「みなさまごきげんよう」です。他にも「ありがとう」を「おそれいります」といったり、語尾に「・・・ことよ」とつけたり、子供らしくないことばづかいもありましたが、それはそれでかわいらしかったと、当時をなつかしく思い出します。校内では制服の上にタブリエという黒いうわっぱりをきて勉強や作業をしていました。それは今でも受け継がれているようです。       

このタブリエも、それからタオルをスリッパの形に直線縫いして上履きの上から履いて床掃除をしたことも、今思えばフランス式教育だったということになります。

この白百合で学んだ「勤勉・愛徳・従順」の教えはいまだに私の心と体に刻み込まれていて、決して順風満帆だったとはいえない私の人生を支えてくれました。

いいだ きみこ

昭和24年6月26日、神楽坂生まれ。幼稚園から高校まで白百合学園で学び、白百合女子大学ではフランス文学を専攻。平成11年12月より(有)龍公亭代表取締役。