第一回 宮城道雄と神楽坂

《春の海》は、今なお、お正月には必ずといっていいほど巷に流れ、邦楽の代名詞のようになっていますが、この曲の作曲家、宮城道雄にとって、神楽坂はゆかりの地です。

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宮城道雄(1894-1956)

宮城は神戸三宮に生を受けた後、家庭の事情で現韓国に移住しましたが、大正六(一九一七)年、青雲の志を抱いて二三歳で上京して以来、現九段北、市谷田町・加賀町、払方町、納戸町とほとんど牛込界隈に住み、昭和五年に現在の新宿区中町に居を構えてからは、生涯この地に住み続けました。

そして、この敷地に建設されたのが一般財団法人宮城道雄記念館です。当館は昭和五三年一二月六日、日本で最初の音楽家の記念館として、宮城道雄の偉業を顕彰すると同時に日本音楽の発展に寄与するために開設されました。グランドピアノのような形の箏「八十絃」など宮城が開発した新楽器をはじめとして、数々の遺品が展示されているほか、書斎として使われていた離れの「検校の間」も保存されています。この茶室風の瀟洒な離れは、NPO法人粋なまちづくり倶楽部と新宿区の協働事業によって、平成二二年に国登録有形文化財にも登録されました。

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検校の間

そして、今年は明治二十七(一八九四)年四月七日生まれの宮城にとって、ちょうど生誕一二〇年、つまり大還暦にあたります。八歳で失明の宣告を受け、自らの道を箏の世界に定めて生田流の二代目中島検校に入門し、弱冠十四歳で処女作《水の変態》を作曲した宮城は、以後、レコード・点字楽譜などによって、ほとんど独学で学んだ西洋音楽の要素を邦楽に導入して独自の音楽スタイルを確立し、日本音楽の近代化、国際化を成し遂げたのです。《春の海》も昭和五年の放送初演を聴いた当時の人々は一様に西洋音楽のようだと、その斬新さに驚いたといいますが、今の私達にはその感覚は分かりません。それどころか、まさに日本音楽の代表です。それほどに宮城の後世への影響は大きく、今の日本の音楽スタイルを創り出したといっても過言ではないでしょう。

なお、宮城道雄記念館では、毎年春に宮城道雄の音楽的業績を演奏とお話でつづる会を開催しています。今年は「宮城道雄と日本民謡」と題して、民謡にも造詣が深かった宮城の作品とその原曲について、また、これまで幻とされていた《甘楽民謡》の復元演奏が四月一九日に行われます。春のひと時、宮城の音楽に耳を傾けてみてはいかがでしょう。(お問合せ先 03-3269-0208)

ちば・ゆうこ

東京生まれ。宮城道雄記念館資料室室長。慶應義塾大学ほか講師。『日本音楽がわかる本』(音楽之友社)、『ドレミを選んだ日本人』(音楽之友社。第二三回ロゲンドルフ賞受賞)ほか著書論文多数。