第20回 『みやこ わが町』とたどるタウン誌の歴史

タウン誌ブームと全国タウン誌会議

一大漁港としても知られてきた宮古にタウン誌が生まれたのは1977年5月(創刊時は80頁で200円)です。70年代初頭から盛んな、ミニコミやタウン誌の創刊が、田村紀雄氏らによって「タウン誌ブーム」と呼ばれるようになった中での刊行です。中心は同市で印刷会社などを営む駒井雅三氏で、以前にも「陸中タイムス」というローカル新聞を刊行、さらにその前には映画館を経営しつつ「映画新聞」も出していたとか。編集担当者以外にも「同人会議」などを開催するなど、多くの人に声をかけていたようです。創刊後しばらくは表紙をイラストや絵画が飾りますが地元の画家らによるものです。

月刊『みやこ わが町』1977年

創刊翌年には駒井氏が実行委員長となって、宮古市で全国のタウン誌関係者が集まった「第1回全国タウン誌会議」が開催され(1978年10月8/9日)、およそ48社110人が参加したと記録されています。タウン誌ブームを象徴する出来事として、今なお思い返される出来事です。

代替わりと全国タウン誌フェスティバル

1985年には発行人であった駒井氏が亡くなります。このまま休刊へという可能性もあったそうですが、「せっかくだから続けよう」と橋本久夫・横田晃両氏が中心になって編集発行が続けられることになりました(1985年10月号が新装刊)。この機会に判型がB5判と大きくなったほか、発行主体も「タウン情報社」となりました。ちなみにこのお二人が編集スタッフになったのは創刊以後しばらくしてからです。橋本氏は一読者として投稿欄に名前を残しています。以後、この2人体制で現在まで発行が続けられていきます。紙面構成も特集が中心となり、月刊を堅守しつつ1987年2月に100号を迎えます。

月刊『みやこ わが町』1998年

その後、民営化NTTと共にはじまった「全国タウン誌フェスティバル」では、1990年度に「タウン誌大賞奨励賞」を、1994年度には「地域コミュニケーション賞」と「10周年特別賞」を受賞します。参考までに1990年の各号の特集タイトルを並べてみましょう。「庚午わが町馬づくし」「ぼくらはラーメン探偵団」「まちかど蔵ものがたり」「あの企画、あのイベント、あの構想」「何か変だぞ? まちは疑問にみちている」「ベイサイド紀行宮古湾」「神子 その姿から民間信仰を探る」「わがまちご当地ソング大集合!」「1、真夏の夜のジャズイン浄土が浜 2、温故知新!宮古ジャズストーリー」「定期航路開設の夢をのせ」「わがまち冬だより」「北風くれないお飾り考」となっています。その後も地元情報、イベント報告、郷土史といったバリエーションは変わりませんが、歴史関連記事が増えている印象もあります。ちなみに「方言ネタ」は評判がよいそうです。

2005年6月には、宮古市・田老町・新里村が合併し新宮古市になります。その後、東日本大震災に見舞われますが、被災の中でも刊行を続け、400号をこえました。

月刊『みやこ わが町』2011年

タウン誌のかたち

創刊時はほぼ正方形でした。70年代のタウン誌は喫茶店に置かれることが多かったそうで、こうした小ぶりの判型が多く見られます。本誌には、喫茶店に置かれたノートに書き込まれた読者の声を掲載するコーナーがあります。現在はコンビニに置かれることも多く、判型が大きい方が望まれるそうです。2000年にはタイトルロゴが創刊以来の書き文字から現在のものに変わっています。刊行当初は地元を描いたイラストや絵が表紙を飾っていますが、80年代には季節に合せたシチュエーションを撮影しています。90年代は地元の風物を、2000年前後以降は骨董などのモノがモチーフとなっています。このように本誌は、地域と時代を盛り込んで続いてきました。

高橋正樹
『かぐらむら』編集室