第一回 神楽坂との出会い

神楽坂通りの毘沙門天近く、金谷ホテルベーカリーのあるビルの4・5階が私の法律事務所である。私が神楽坂(北町)に引っ越して16年、神楽坂通りに法律事務所を開設して6年が経過した。三重県出身で東京に縁が無かった私が東京で弁護士になって30年以上、既に東京が一番長い居住地となっている。連載に当たって、なぜ神楽坂に縁ができ、事務所まで移転してきたのかを紹介しておきたい。

三重県の松阪という古い城下町で育った私は大学から東京に出てきた。

1982年に東京で弁護士になり、程なく結婚して、西葛西の埋め立て地の公団住宅に住み、子育てもここでやってきた。

住んだ当時は造成後まもなく、新しい建物だけだった大規模団地で、葛西臨海公園やディズニーランドに近くて、休日は自転車で子供と出かけるような暮らしから、都心の神楽坂に引っ越したのが1998年である。

神楽坂に引っ越したきっかけは、そのさらに10年近く前、当時出現したばかりのパソコン通信でまちづくりの情報交流を行っていた仲間の一人に神楽坂で設計事務所を開設していた保坂さんがいた。

私は弁護士になって以来、日照権運動の先頭に立っていた五十嵐敬喜弁護士と出会い、建築紛争や都市開発を巡る環境問題を多く扱うようになり、その縁で建築や都市計画・まちづくり分野の人たちとのつながりが増えていたが、彼もその一人であった。

彼が音頭をとって通信の仲間と神楽坂でまちづくりをやっていた仲間をつなぐイベントが開催され、その時初めて神楽坂に来た記憶がある。とてもフレンドリーな町だという記憶があったが、当時はバブル時代、とても都心に住居を購入することは不可能という住宅事情だった。

ところが10年ほど経過して、子供が中学に入った頃、公団住宅の家賃と同程度で都心でも家が購入可能だと言う状況になり、交通至便な都心部で、かつ住みやすいところと言うことで神楽坂周辺を中心として家捜しをした結果、北町に居を構えることとなった。

引っ越して一番驚いたのは、夜が静かなこと。

西葛西は住宅地ではあったが、首都高速の湾岸線が走っており、その音が常に聞こえていた。神楽坂は住宅地に入ると全く静かである。

それから、何事も徒歩で用が済むこと、食事も、買い物も、お出かけも。何しろ利用可能な鉄道がJR、東西線、有楽町線、南北線、大江戸線と5本もあり、あらゆる方向に電車で行けてしまう。日本中探してもこれほど便利なところは滅多にない。もちろん多くのレストラン、飲み屋すべて徒歩で行ける、これは特に呑兵衛にとってはありがたい。住んでみてあっという間に神楽坂の魅力にとりつかれてしまった。引っ越すきっかけが地元のまちづくりに関わった人たちとの縁だったこともあり、すぐさま地域の街の問題に関わることとなった。

そこに降りかかった大問題が、坂上に建っているアインスタワーの建設問題である。これを巡る地域の人たちの戦いは次回に。

ひおき・まさはる

1956(昭和31)年三重県生まれ。1982年弁護士登録(第二東京弁護士会)。2008年神楽坂キーストーン法律事務所開設。2014年現在立教大学・早稲田大学法科大学院講師。自治体の委員など多数。