第11回 角をとり、エスプリで包むウッド・ボックスたち

さまざまな木箱(角がとれる箱たち)
角がとれる箱(木 ラッカー 120×120×120mm 1986)

埼玉県春日部市は桐箪笥などの伝統的家具作りの街として広く知られている。今より30年程前、その木箱を作る技を生かしながら、これまでにはない箱に挑戦してみようという新しい企画が生産地側から出され、そのデザインを開発するためのアーティストが選ばれ、私もその1人として参加することになった。

早速、生産者側とデザイナー側との度重なる協議と試作がくり返され、その成果を問う「ウッドパッケージ展」と称する第一回展が、東京六本木のアクシス・ギャラリーで発表された。その数年後、さらに広く新たなアーティストも参加して第二回展も開催。多様な木箱の多くの展開をお見せしたいところだが、紙面の都合上ここでは私の箱のいくつかの例を取り上げてみよう。

第2回 ウッドパッケージ展のシンボル・イラスト

冒頭に揚げた色とりどりの箱は、四角な箱の三面をフタとして使いヴィジュアルな形と色で特徴づけている。内には何を入れても自由。贈物にすれば「角がとれる箱」として喜ばれるだろう。

キッシング・ボックス(ベニア ラッカー 110×110×110mm 1984)

次なる箱は、3ミリ厚の薄いベニヤ板で作った立方体の「キッシングボックス」。4面それぞれに男と女の顔があり、男の顔を回す度にキッスがくり返される。一辺12センチ程の立方体の箱だが、度重なるキッスにも壤れない永遠の愛の箱と言えようか。

ユーモアのある箱とは異なるが、同じ厚さのベニヤ板を使って高さ30センチ程の青い大きな箱を作った。四面上部の縁回りがギザギザに蝕まれ、胴部にも多くの傷がついている。離れて見れば単なる青い箱のようだが、近づけば浸食されてあわれな地球という生命体を入れる箱。温暖化の進む危機を木箱に託して見せた「蝕まれた箱」である。

蝕まれた箱(地球)(ベニア アクリル 400×300×300mm 1987)

この他にも子猫たちが跳びまわる「さわがしい箱」、小鳥たちのさえずる「明かりの箱」、「疾走する馬の箱」など入れ物というコンセプトをはずして挑戦。当然、春日部の職人方の巧みな技に支えられて作られた木箱たちである。

騒がしい箱(280×230×240mm 1986)、くつろぐ箱(兼収納箱)(420×400×400mm 1984)
さえずる明かりの箱(280×230×240mm 1986)
疾走する箱(木 280×150×150mm 1986)

これらは、一九八五年、ニューヨークの「ギャラリー91」から、岡田宏三、杉村敏男両氏の箱と共に三人展として招かれ、新しい時代の日本の木箱として話題を呼んだ。また「蝕まれた箱」はモントリオール美術館からパーマネントコレクションの一つに選ばれる。

それから数年後、私の箱はフィンランドのレトレッティ美術館から「日本のアート」展の一つとして迎えられ、数十点のポスターと共に参加することになった。

ヘルシンキから飛行機で一時間半、美術館は堅い岩盤を砕いた地下空間に建てられていた。館長のヘイノネン氏曰く、砕氷技術の発展したこの国ではあえて岩盤を掘って建てることに全く問題はないとの説明。

地下美術館に下りて最初の見せ場は、彫刻家、新宮晋氏の造形であった。高い地上から射し込む一条の光を受けて音も無く静かにいつまでも回転する姿は、この美術館を象徴しているかのようであった。地下通路の奥深くには、この地に長く滞在して製作した鹿目尚志氏の立体作品が置かれ、近くには私の箱たちも賑やかに展示されていた。木を使用したデザインの多いこの国で、ベニヤ作りのキッシングボックスがミュージアム・グッズとしても扱われたことに懸念していたが、飛ぶように売れていると聞き、ユーモアが理解されたと喜んでいる。

日本のアート展に参加したアーティストのそれぞれは、サウナ付きのコテージに宿をあてがわれ、期間中ずっと楽しむことができた。最後の夜は通訳として世話になったラハチに住む家具デザイナー、児島宏嘉氏の湖畔の家に招待され、薪をくべながら楽しむ本格的サウナに喜び、白夜を遅くまで楽しむことができた。

ゆー・じー・さとー

1935年神楽坂生まれ。東京学芸大学中退、桑沢デザイン研究所卒業。デザインファーム代表。世界四大ポスタービエンナーレ(ブルノ、ワルシャワ、ラハチ、モスクワ)のいずれでも金賞受賞。著書に「U・G・サトー」ggg Books 36、「富士山うたごよみ」俵万智と共著、「あめかな」、「しまうまのさんぽ」など。いずれも福音館書店。