第10回 散歩で見つけた わたしの町、となりの町!

街を散歩する2匹のシマウマを絵本にしたことがある。この号では、雨や風がなければ毎日気ままに神楽坂周辺を散歩しては見つける、私のささやかな喜びや驚きを描いてみよう。

静かな矢来町の道を出て神楽坂の通りから大久保通りをまたぎ、わずかな勾配を楽しみながら一気に外堀まで下る散歩道は、私のいつものパターン。その後いくつもある左右の路地を気分にまかせて折れ、わずかな変化も楽しむ。

とはいえ、戦前からこの一帯の地形や雰囲気を知る私でも、時には再会したい場所のイメージを描きつつ、なかなかたどりつけない場所もある。意外にもそこは、神楽坂交差点に接する安養寺の横を斜めに入り、パレアナ画廊を過ぎたあたり。左の崖を切り開いてつくられた、だまっていれば見過ごされそうな幅2メートル程の2色の石の階段。人家の窓ギリギリに十八段のカーブを描いて上の道に通じている。階段の中央と片側には、花弁形の飾りがほどこされた鉄の手すりが程よく立てられていて何とも愛らしい。いつの頃に造られたのだろうか、このデザインを考えた人たちの優しい心遣いが伝わってきてうれしくなる。また階段の上り口にあたる下の通りが、フランス坂と呼ばれていることを初めて知ったが、どんな謂れで名付けられたのだろうか。

再び交差点に戻ると、元時計店の壁に付けられた大時計の2本の針が止まって今は垂れ下がったまま。数年前、テナントが代わって以来のことだが、復活できないものだろうか。屋上に回る風見の鶏と合わせて再びデビューすることを祈りたい。

さて坂を上がると、六丁目の赤いポストの横にひょっこり、「コボちゃん」のかわいい姿が見つけられる。暑さ寒さに応じて帽子や上着、パンツが変わるのは熱烈なファンのやさしい気遣いがあるからだろう。コボちゃんの生みの親、植田まさしさんも散歩好き、時々道でお会いするのも私の楽しみの一つ。

神楽坂とは打って変わり、矢来町の閑静な道を静かに歩くのもおすすめしたい。小浜藩主、酒井忠勝の屋敷がこの地にあり、三代目将軍徳川家光は百を越える頻度でここに通ったと聞いている。きっと二人はとてもうまがあったのに違いない。屋敷が竹矢来の垣根で囲まれていたことが、後にこの一帯に矢来という町名が付けられた由縁であることを知る人は少なくない。屋敷跡の一部が小さな公園として残され、何とここであの「解体新書」を発刊した杉田玄白が生まれ育ったことが碑にも刻まれている。

さて矢来町に生まれた私の五人の子供たちは、近くの市ヶ谷小学校に通っていた。学校の裏手には玄白の血を引くと聞いている校医の杉田医院があり、時々診てもらっていた。ある時、食欲旺盛な子どもたちにと親しくしていた広島の友人から、たくさんの生牡蠣が送られてきたことがある。一同そのおいしさに堪能、夕食で一気に食べ尽くしたが、数日経って私も含めた家族の三人が体の異常を訴える。長男は自力でなんとか回復に向かうが、次男と私の目は黄ばみ、背中が痛むなどして起き上がれない。二人が杉田医院へ駆け込み診察を受けると言下に「すぐ入院」と指示され、戸山町にある国立国際医療センターに入る。

幸い次男は一週間ほどで退院できたが、深酒など日頃の習慣が禍して私は数ヶ月の入院を余儀なくされる。当時週刊誌にイラストを連載中だった私は、広めの個室に替えてもらい、時間をたっぷりかけて描くことができた。

その後、週に一度は出向いては買う、三代続く近所の「魚浅」にこの一件を話すと、「広島など温暖な海で育った生牡蠣はうちでは一度も扱ったことがない」とその原因を揶揄される。この魚浅さん、神楽坂と矢来町周辺ではただ一軒、今も続けているうれしい店だ。

さらに矢来から南榎町周辺をうろつき、西に向かうと弁天町の幽霊坂。昼でもうす暗い長い石段を下りると外苑東通りに出る。すぐ右折すると神経の研究で知られている晴和病院があり、やや歩を進めると和算を研究した関孝和の墓で知られる浄輪寺。続く多聞院には、神楽坂は横寺町の芸術座で活躍した島村抱月の後を追い、自殺した女優の松井須磨子の大きな墓がある。入口の一角は、従来のものとは打って変わり、まるで子供たちが遊んで作ったような、白いプレートの上をカラフルに気ままに並ぶ小さな墓標を見て、一種の樹木葬だと聞かされながら、近頃の新しい埋葬の傾向を知って参考にもなった。

この寺のすぐ目の前、大通りをはさんで草間彌生の白亜の高い美術館が建てられた。大きな「かぼちゃ」のひだに添い、黒のドットをきちんと並べた彼女のオブジェやアートは今ではあまりにも有名。つい先頃も六本木の国立新美術館で、彼女の近作タブローを見たが、休むことなく一気に描き続けるカラフルな大判の多作ぶりにただ圧倒されるばかりであった。

まもなく開館すると聞いているが、九十歳近くになってもなお衰えない彼女の鋭い両眼が見つめる先、坂を越えて矢来町や神楽坂の街が拡がる。これから先、どんな刺激や影響がもたらされるだろうか楽しみである。

U.G.サトー作『しまうまのさんぽ』福音館書店、2005年

ゆー・じー・さとー

1935年神楽坂生まれ。東京学芸大学中退、桑沢デザイン研究所卒業。デザインファーム代表。世界四大ポスタービエンナーレ(ブルノ、ワルシャワ、ラハチ、モスクワ)のいずれでも金賞受賞。著書に「U・G・サトー」ggg Books 36、「富士山うたごよみ」俵万智と共著、「あめかな」、「しまうまのさんぽ」など。いずれも福音館書店。