第八回 パリのエッフェル塔をエスプリで楽しむ……

「エッフェル塔」AGI-PARIS-2001、U.G.サトー

昨秋「白い恋人たち」の映画で知られ、アルプスの峰々が美しい姿を見せるフランス・グルノーブルの街で開催された日本のグラフィックデザイン„MADE IN JAPAN〝展で講演したあと、急行TGVで三時間のパリに寄った。静かなリュクサンブール公園の近くに宿をとり、体調のすぐれない私を気遣って同行してくれた娘に、翌日モネの「睡蓮」の絵を間近に見せたいとオランジェリー美術館へ案内する。近くのカフェで遅い昼食をした後、セーヌ河畔に出ると見事な夕焼け空を背景に、照明で一段と輝く幻想的なエッフェル塔の姿が重なっていた。あたかも雲と塔が奏でる交響曲を聴くかのようにその幻想的なシーンに魅了されるまま、いつしか塔の足元へたどり着いていた。すでに暗くなった夜空に向かって伸びる塔を見上げれば、まばゆい照明を受けて堅牢に組まれた鉄のディテールを浮き上がらせながら、四本足でしっかり地を踏みつつ、全身をオレンジ色に染めて、怪しく優美に天に昇らんとする生き物のような姿にしばし感動。十九世紀末に完成した当時は、グロテスクな鉄の塊と揶揄されたと聞いているが、はじめて本物と間近に接して、ギュスターヴ・エッフェル設計の巨大モニュメントのすご味を実感したところである。

これより話はさかのぼる二〇〇一年、AGIと称する世界のグラフィストたちが一堂に会して行うイベントがパリで開かれた。そこで企画された全員参加のテーマは「エッフェル塔」。各人が持つインスピレーションで新しい塔をデザインすることだった。このために、あらかじめ用意された塔脚部の写真を共通要素としながら上部タワーのデザインが各人の表現に委ねられ、前もって会に送られていた一二七名それぞれのエッフェル塔が、イベントの当日一冊の本となって発表された。それぞれの気ままな表現はユーモアとエスプリにあふれた示唆に富んだものばかり。例を挙げれば、編み棒で毛糸を編む様子がタワーの骨組みと重なる図であったり、栓抜きのシャンペンを抜く様子は複雑な塔の骨組みに似せていたり、塔の台座の上には、コカコーラの壜や、ニューヨーク・エンパイヤステートビルがさもありなんという姿で立っていたり…。比喩や皮肉たっぷりの姿を含め、示唆に富んだそれぞれのエッフェル塔が描かれていたことを伝えておこう。

またこの本のカバーデザインは、九十歳を越えながら当時もなお描き続けておられた二十世紀最大のユーモア・アーティスト、フランスのレイモン・サヴィニャック氏によるもの。この会には出席されなかったが、いつもの温かいユーモアで、パリの街が見事にシンボライズされていた。

『AGI-PARIS-2001』127名のグラフィストによる50年祭誌(パリ)。国際グラフィック同盟(AGI)、2001年9月発行。イラストはレイモン・サヴィニャック氏
「レイモン・サヴィニャックの肖像」 2002年、U.G.サトー

さてテロの騒ぎも忘れて二人は瀟洒なカフェに席をとり、私は止められていたワインをちびちびなめながらエスカルゴの味を楽しむ。かつて、私が二十代の始めに見たフランス映画「天井桟敷の人々」の冒頭、役者の埋葬場面に集まった多勢の芸人たちが、弔うことよりもじめじめした墓場の隅々でエスカルゴ探しに夢中な様子が撮られていたことを思い出しながら、うまいものに目のないフランス人気質のことをおもしろおかしく娘に語っていた。話は飛ぶが私が一人前に稼げるようになってから、神楽坂は毘沙門天のすぐ隣にあった洋食の「田原屋」にも時々通い、評判のハヤシライスばかりではなく、メニューの片隅にあったエスカルゴを注文、連れの客たちも初めて食べるまさかの美味しさに喜ばれたことも思い出していた。

帰国の時間が迫る夕刻、私より上背のある娘が、あわてて一軒のブティックへ入り、スカイブルーの帽子とオーバーコートを試着する姿を窓越しに眺めながら、つい財布の紐を緩めてしまう父親であった。

「パリを祝う」ポスター展 パリ市、2014年、U.G.サトー

ゆー・じー・さとー

1935年神楽坂生まれ。東京学芸大学中退、桑沢デザイン研究所卒業。デザインファーム代表。世界四大ポスタービエンナーレ(ブルノ、ワルシャワ、ラハチ、モスクワ)のいずれでも金賞受賞。著書に「U・G・サトー」ggg Books 36、「富士山うたごよみ」俵万智と共著、「あめかな」、「しまうまのさんぽ」など。いずれも福音館書店。