第六回 忠臣蔵でデビュー

入門して一年二ヶ月後の初舞台のことを書こうと思いかなり長時間ごそごそ探していたところ、茶色くなった新聞記事が出てきました。昭和六十年(一九八五年)六月十一日、朝日新聞の関西版夕刊でタイトルは【太棹の寛也「忠臣蔵」でデビュー】とあり、この記事のおかげで同十八日に国立文楽劇場小ホールでの人形浄瑠璃因協会女子部 第五十六回素浄瑠璃公演夜の部のトップに出演したことが分かり、細かいことを忘れていたので助かりました。

太夫は学生時代から存じ上げていた先輩の竹本朝代さん(現・竹本越京さん)が東京からいらしてお付合い下さり、ありがたいことでした。

演目は「仮名手本忠臣蔵」裏門の段。松の廊下での刃傷のあとの場面で、勘平が切腹してお詫びしようとするのを恋人のおかるが止め、自分の実家のある山崎に落ちていくという約十三分の若手がつとめることの多い曲です。

舞台そのもののことは残念ながら本当にまったく覚えていません。緊張の極みだったのでしょうか、寛八師匠が舞台の前後に何をおっしゃったかというようなことも何一つ思い出せません。ただ東京から両親が来て師匠方や劇場の方々にお菓子を持って挨拶に行ったことを、舞台技術課のお兄さんたちに過保護と笑われたことだけは何故かありありと覚えています。小ホールでたまにアルバイトをしていたこともあり、舞台技術課の方々にも可愛がってもらいましたしある時は厳しく色々と教えてもらいました。

当時は人が少なく、本来太夫の役目である柝を三味線の私が打つことがありました。うっかり打ちそこねると後ろから何人もの野太い声で「あ~あ」です。かなりきついダメ出しもあり半泣きで稽古したこともありました。この経験のおかげで今でも私は若手の太夫よりずっと良い音、良い間で柝を打つことができるのですが、腕を発揮する場がないのが残念です。

初舞台の写真は画質が悪く載せることができず、そのかわりというと寛八師匠に失礼なのですが、師匠の素敵な写真をご覧いただきます。

故 鶴澤寛八師匠

さて連載は今回で無事予定の六回を終えました。ご愛読ありがとうございました。これからもどうぞ女流義太夫、そして鶴澤寛也をよろしくお願い申し上げます!

今後の主な予定

2017年2月1日(水)【ヨタロウPresents東京流れ者会Vol.23】 奥庭狐火の段 伊藤ヨタロウライブのゲストで渋谷のライブハウスに出演

2017年2月5日(日)【第十五回鶴澤寛也一門おさらい会】 うちのお弟子さん(素人)の会 太夫が竹本綾之助師、竹本土佐子師、竹本越孝師の豪華版

2017年2月18日(土)【乙女文楽】 道行初音旅 人形町・よし梅芳町店でのイベントでひとみ座乙女文楽と協演

2017年2月20日(月)【女流義太夫二月公演 降り積もる雪と哀しみと】袖萩祭文の段 雪の中で繰り広げられる悲劇

2017年3月1日(水)【第二回のうじょぎろう】 順礼歌の段 能・女義・浪曲の会

2017年3月20日(月)【女流義太夫三月公演 義経千本桜】 道行初音旅

2017年3月26日(日)【奈佐原文楽】 宿屋の段 栃木県鹿沼市に伝わる文楽の助演

つるざわ・かんや

1984年、鶴澤寛八に入門。1993年、豊澤雛代の預かり弟子。2007年、鶴澤清介の預かり弟子。2009年、重要無形文化財総合指定保持者認定。伝統芸能ポーラ賞奨励賞ほか受賞多数。京都造形芸術大学非常勤講師。
詳しくは http://tsuruzawakanya.com/