2018年6月 98号

まちから消えていくもの

伊藤まるで人間の世界はスマホに支配される時代になっている感がありますが、それと並行して面と向き合った人間関係の希薄化が色濃くなってきており、戦争中とは違って食べ物は溢れているけれど、新たな肉体性の喪失の時代がやってきたと言えるかも知れません。またスマホが席巻する一方で、最近本を読む人が減ってきているということも言われていますよね。それに関連して舞踏の創始者の一人である笠井叡さんに『カラダという書物』という本のことが思い浮かんできました。

笠井叡「日本国憲法を踊る」(撮影:伊藤孝)

長岡私もセッションハウスで笠井さんの講演があった時にその本を買って、読みました。

伊藤この本のタイトルは、キーワードとしていろんなことを考えさせてくれます。人間のカラダには、生まれてから成長してくるまでのさまざまな記憶、ケガや病気の痕跡、過ごしてきた環境からの影響などがぎっしりと詰まっている。ですから確かにカラダを多くの記録を内包した書物として見ることができますね。私はそのタイトルを逆転してみます。『書物というカラダ』と置き換えてみるのです。最近は、スマホで情報を得、小説でも漫画でもタブレットで読む人が増えている。タブレットは文字のサイズが拡大できるので視力の弱い人には便利かも知れませんが、肉体性を感じられない。しかし書物には、それを持った時の重さや形、手触りなどがそれぞれ違い、肉体性を持っているものと言えなくもない。スマホやタブレットからは書物のような肉体性が感じられないのですね。

柿崎麻莉子(撮影:伊藤孝)

長岡まちから本屋さんが消えていくのと、書物が肉体性を失っていくのと同時進行しているような。若い人は自分の肉体に対しても意識が希薄になっているのでしょうか。

1 2 3 4