2018年6月 98号

年々増え続ける神楽坂の文化イベント。小誌「まちの時間割」コーナーは今も増加し続けています。その中にあって小誌創刊前から時代を映す不思議な場所として注目されてきた場所、セッションハウス企画室代表の伊藤孝さんにお話をうかがいました。(撮影:伊藤孝)

ダンスへの希求とその背景

長岡「かぐらむら」も九八号、そろそろ振り返ってみてもいい頃ではと思い、インタビュー企画をやってみることにしました。この小さなタウン誌を神楽坂ではじめた時、三つ取材してみたい所がありました。その三つは、セッションハウスと矢来能楽堂と毘沙門天なのです。何の脈絡もないのですが、「まちの時間割」ページというのを作った時、この三つの場所が気になったのです。

伊藤どんなところが気になったのですか?

長岡うまく言えませんが、共通項は、まず経済活動とは違うこと、どれも身体を使っている場であること。毘沙門天は、朝にカンカンと激しい音を鳴らしておつとめをしています。セッションハウスは、身体そのもので表現するダンスの場として機能しています。また矢来能楽堂の舞いは、抑制された動きの中で逆に強く身体を感じさせるものがあります。身体を使うにしても、労働やスポーツではなく、その目指しているものから不思議な場所に思えていたのです。セッションハウスには、身体表現を求める人が集まって来る所だと思うのですが、いつ頃から始められたのですか?

伊藤一九九一年に設立したのですから、もう二七年前のことになります。始めからウイークデイはダンスのクラスをやっていましたが、週末には最初はダンスだけでなく音楽のコンサートなどさまざまな催し物を企画していました。その頃はまだダンスを志す人は少なかったのですが、一九九五年前後からでしょうか。ダンス表現をやりたいという人が右肩上がりに増えてきたのです。そのためノンセレクションの公募企画をはじめ、さまざまなダンス・プログラムを企画して実施し始めました。その中からダンスの第一線で活躍するダンサーが多数輩出してきましたし、今やメジャーになった近藤良平君が率いる「コンドルズ」のようなカンパニーも生まれてきましたし、伊藤直子が主宰して一九九三年に旗揚げした劇場付きの舞踊団マドモアゼル・シネマが、活発に公演活動を展開し始めたのもその頃でした。そして九〇年代の終わり頃からは海外からのダンサーの来日も増え国際交流も活発になってきましたし、今では年間に五〇を越えるダンス・プログラムを企画するようになっています。

マドモアゼル・シネマ「そらの街から」(撮影:伊藤孝)
近藤良平(撮影:伊藤孝)

長岡それには何か時代的な背景があったのでしょうか?

伊藤やはり情報革命というか九〇年代になって急激なデジタル化があったからではないかと感じています。そういうところから肉体的表現としてのダンスのようなものへの希求、欲求が出てきたのではないでしょうか。私は身体というと記号的に思える言葉なので、あえて血が流れ筋肉が躍動する肉体という言葉を使う方が、ぴったりするように思えますので、あえて肉体という言葉を使わせていただきます。そうした観点からいうと、意識してか無意識かどうかは分かりませんが、肉体の喪失への危機感がダンス的表現を求める背景にあるような気がするのです。

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