2017年6月 92号

あたり前のことですが、何かが終われば、必ず何かがはじまります。街はいつでも進行形で、生き物のように世代交代を果たしながら変わってきました。小誌はそんな中、90号を区切りに一つの冊子をまとめました。『この街のこころを、これからの人へ・神楽坂福読本』です。

この中で書かれていることは、主に戦後から平成26年頃までのお話です。それからのことと、これからのことは、まだ書かれていません。そこで新しく5人の方に、これからの街との関りについて書いてもらいました。

地元企業や大学と手を結ぶおかみさん会

神楽坂おかみさん会代表 飯田公子(龍公亭三代目)

正式名称は「神楽坂文化振興倶楽部」です。地元神楽坂で生業を営むおかみさんたちが集まって作った会なので、通称「おかみさん会」と呼んでいます。会をはじめるきっかけは4年前に遡ります。泉鏡花の生誕140年を機に生誕地である金沢下新町と、作家として活躍した東京神楽坂の住民有志が集まって作った“鏡花を追ってプロジェクト”です。発起人は金沢の北國新聞社で、作家の嵐山光三郎先生が顧問でした。金沢と神楽坂がそれぞれイベントを企画し、双方で参加し合って交流を深めました。ともに花柳界のあるまちなので芸者衆による踊りの会などもともと交流はあったのですが、さらに泉鏡花つながりでさまざまな企画が生まれました。たとえば神楽坂では、料亭「うを徳」や中華料理店「龍公亭」で鏡花作品の朗読劇を劇団唐組の協力を得てやりました。原作に忠実な脚本や、新しい解釈等、朗読劇そのものが大変意義のある実験的な取り組みだったものですから、鏡花研究家の方々も遠方から観に来てくださいました。その後の懇親会も和気あいあいとした交流の場になったことは楽しい思い出のひとつです。ふたつの町の写真展や鏡花本の装丁展もやりました。

金沢の町を挙げての文化イベントは、伝統工芸、伝統芸能に対する下支えにもなっています。私たちは、この交流を通して多くのことを学びました。“鏡花を追ってプロジェクト”は北陸新幹線が開通し、文化交流の当初の目的を果たしたとして二年前に解散いたしました。

しかしこのことを契機として、私たち一介の住民にもいろいろなことが出来ることを学びました。私自身、人と人とをむすびつけることが楽しくやりがいのあることだと感じたのです。いろいろなイベントを企画して多くの方に参加していただく、そしてこの神楽坂という土壌にはぐくまれた豊かな文化をともに享受することができたら、ここはもっと魅力的なまちになるのではないでしょうか?

このまま終わったらもったいないという意見と、鏡花に限定せずもっと神楽坂にゆかりの文学者全般に範囲を広げていったらどうかしらという意見と、けんけんがくがくと話し合っているうちに新しい会が生まれたのです。そこで“鏡花を追ってプロジェクト”でお世話になった嵐山先生のお言葉を思い出しました。

「これからは女性中心の活動がいいですよ。女性は発想がやわらかいからいいんです」幸い、志をひとつにするおかみさん会のメンバーが13名集まりました。

とは言ってもおかみさんたちは、毎日店を陰に日向に支える多忙な方ばかり。文化活動などは未経験の素人集団ですからたいしたことはできません。しかしそれであきらめないで、地元の企業や大学と手をつないでやれば、何かできるかもしれないと思いました。

具体的な活動としては、東京理科大学に協力を仰ぎ、毘沙門前の森戸記念館の中に神楽坂の歴史資料を展示したコーナーを作りました。また新潮社とは、「神楽坂ブック倶楽部」を立ち上げ、今春には“一箱古本市”をまちの中で開催しました。さらにギンレイホールや大日本印刷、ゼブラさんにもご協力いただき、さまざまな企画を進めています。

スタートに当たり、神楽坂に事務所のあるグラフィックデザイナーの松永真さんに「神楽坂文化振興倶楽部」のイメージポスターを作っていただきました。松永デザインを使ったオリジナルボールペンやエコバックをはじめ、文芸地図などを随時販売しております。売り上げは活動資金にさせていただいておりますので、お目に留まりましたら、ご協力をお願いいたします。

今のところ月一回の会合は必ず開くようにしています。毎回全員集合というわけにはいきませんが、みなさんなんとか都合をつけて参加してくださっています。

肩肘を張らずに、できることから始めましょうというのがモットーです。皆様、これからもどうぞおかみさん会をよろしくお願い申し上げます。

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