2014年10月 76号

神楽坂は伝統芸能が盛んなまち。路地や矛調には、三味線や謡いのお稽古をする声が流れています。今回の特集は、伝統芸能の世界で活躍されている方々にお集りいただき、ふだん敷居が高いと思われている伝統芸能について、自らの体験を中心に、本音で語っていただきました。
(撮影:田邊美樹)

【出席者】花柳貴比(日本舞踊花柳流)/鶴澤寛也(女流義太夫三味線)/鶴賀伊勢吉(新内節鶴賀流)/一龍斎貞寿(女流講談師)

【司会】鶴賀若狭掾(人間国宝・新内節鶴賀流家元)/長岡弘志(「かぐらむら」編集長)

鶴賀 本日は伝統芸能の世界で、次の世代の担い手となる方々で、神楽坂に稽古場のある方や、神楽坂に縁のある方にお集まりいただきました。この座談会でそれぞれの伝統芸能の世界について思う存分語っていただければ、これからこの世界を目指す人々に役立ってもらえるかと思い企画いたしました。どうぞよろしくお願いします。

この道に入ったきっかけ

貴比 花柳貴比と申します。三歳から日本舞踊をやっています。神楽坂には十四年前からご縁があって稽古場を開かせていただいています。

貞寿 講談師の一龍斎貞寿です。一龍斎貞心師匠の許に入門して十二年目。まだ二ッ目の若輩者でございます。

伊勢吉 新内節の鶴賀伊勢吉です。ご存知のように鶴賀若狭掾師匠の弟子になります。芸歴は二十六年になります。

寛也 女流義太夫の三味線弾きの鶴澤寛也と申します。芸歴は三十年弱です。神楽坂に稽古場を構えて五年目になります。

「座談会はゆかたでやりましょう」の呼びかけで。神楽坂の老舗・龍公亭にて

鶴賀 はじめにこの道に入ったきっかけ、いきさつをお聞かせください。

貞寿 私は子供の頃から「日本昔ばなし」が大好きで、市原悦子さんのように民話の朗読をやってみたいなと思い、勉強していました。その内に、たとえば栃木の民話を読むと、那須与一という人が出てきて、いつの間にか「源平盛衰記」という講談になる。そこで、講談に興味を持ち、足繁く釈場に通って聞くうちに、いつの間にかやる側になっていた、という感じです。

鶴賀 なるほど、講談というと、新劇の役者さんからなった人も多いですね。

貞寿 女流講談師の中には、もともと女優をされていた方も多いですね。私の師匠も講談師になる前は役者として活躍されていたそうです。

伊勢吉 私は新内節江戸浄瑠璃とは全く縁もゆかりもない南西諸島の一つ喜界島というところの出身です。十八歳の時に大学入学ということで上京いたしましたが、諸事情ありまして、中退しました。その頃師匠の弟子の伊勢一郎という三味線弾きと出会い、軽い気持ちで三味線を始めました。その内その面白さにとりつかれ、正式に師匠の通いの内弟子としてこの世界に入りました。

寛也 私は大学に入ってからお芝居や映画を観ているうちに歌舞伎にいきあたって、歌舞伎座の三階においてあった義太夫協会のチラシを見たのがきっかけです。実は義太夫はあまり好きじゃなかったのですが、「義太夫を勉強すると歌舞伎がもっとおもしろくなる」という殺し文句が書いてあって、そのためなら勉強してみようとはじめたのです。

雷に打たれたような体験

貴比 私は踊りとは関係のない普通の家に生まれたのですが、母が「女の子が生まれたら踊りを習わせたい」と考えていたようです。でも私は高校二年までお稽古がいやで逃げまわっていました。どのように稽古をサボるかに命をかけていたのです。ある時にすばらしい舞台を観て、まるで雷に打たれたように感じ、その時から私も舞踊家になろうと決心したのです。

伊勢吉 私はなに気にはじめた新内でしたが、師匠の浄瑠璃にふれて、貴比さんの言葉ではないですが、私も本当に雷に打たれました。浄瑠璃というのは、物語を三味線の伴奏に乗せながら展開していくのですが、お芝居を観ているようで、一人で何役もこなして、登場人物になりきって喜んだり悲しんだりできるのです。そんな師匠の浄瑠璃を聞いて、私もこの世界に入ろうと決意したのです。それに私は、会社勤めとか絶対にあってないですから。芸の世界でドロドロになって苦労するのが性にあっていますから。お金持ちにならなくてもいいのです。それより一つの道を精進したいので、苦しみはありません。困ることは、生活費が足りなくて時々師匠にお金を借りることくらいです(笑)。

つるが・いせきち◇昭和64年新内節に入門。鶴賀流第十一代目家元鶴賀若狭掾(人間国宝)に師事。平成3年鶴賀伊次郎の名を許される。三味線方として、国内外での演奏会、ラジオ等で活動。鶴賀若狭掾の三味線方として海外公40ケ国で演奏。平成24年浄瑠璃方に転向、鶴賀伊勢吉の名を許される。鶴賀流家元副代行。新内協会会員。
つるが・わかさのじょう◇東京神楽坂生まれ。鶴賀流十一代目家元。平成12年新内の始祖である鶴賀若ノ掾の名を襲名。重要無形文化財保持者(人間国宝)。新宿区名誉区民。新内協会理事長。新内伝承の為、国内は元より海外40ケ国でも積極的に演奏活動を行っている。

鶴賀 それで私が困っているのです(笑)。寛也さんは、三味線一本でこの道に入って、お弟子さんをとったり、演奏会を開いたり大変ではありませんか?

寛也 私の場合、芸の世界に入った一番のきっかけが、最初に入門した鶴澤寛八師匠という大阪のお師匠さんの舞台で、あまりの格好良さに「このお師匠さんに三味線を教えてもらいたい」と。大阪のお師匠さんが東京にいらした時、私は素人で稽古するつもりで、ちょっと教えてくれないかなあと思ってお宿を訪ねました。ところがお師匠さんは、どうも私をプロ入り志望とまちがえたらしくて、「あんた、こんなんやったらあかんで。女の人は結婚するのが一番や」と言われているうちにいろいろあってこちらも本気になってしまい、「じゃあ、大阪行きますので、よろしくお願いします」ってずるずると入ったのです。

長岡 人生の決断時ってそんな感じで訪れるものなのですか。

寛也 たいしたこともなく、なんとなくずるずるです。

鶴賀 そうだよ。大上段なんかに大げさに考えていないよ。すうーっと水の中へ入っていくようなものだよ。

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